昨晩は九時半ころに寝てしまい、早く起きるだろうなーと思ったら四時くらいに目が覚めた。信じられないくらい雨が降っていた。川の水位は上がるだろう。一部が網戸を突き破り、どろっとした水が網の内側をしぶとく垂れた。これが私の描写です。
保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」という本に、「作家志望の人が質問するのはだいたいテクニックのことだが、小説を100冊200冊読めば書くのに必要なテクニックはじゅうぶん身につく、とあって私はその言葉に励まされた。私は文体についてたとえば山下澄人がすばらしいとか、小島信夫がすばらしいとか、あと保坂和志の「未明の闘争」という小説は書き出しの文から日本語的にあやしい文章でそういうのを私は真似したりし、しかしそういうのって結局奇をてらっているだけだと一部の人には言われる。一部の人にはもちろん自分も含まれる。というより、全員誰かの仮面をかぶった自分なのだ。だけれども、こうして毎日毎日特に思うこともなく文字を並べていると、だんだんとそういう文体について、
「なんだっていいやー」
と思える瞬間が増えてきた。単に主語と述語と、あと修飾語? それが最低限あれば文は文なのだ。そして文というのはどこまでも続くのだから、そのときの一文がイマイチだと思うなら次頑張れば良いと思う。私は書き直すよりも、新しいことを書いた方が前向きだと思う。たとえば書き始めのころは、自分の言いたいことは何か、ということが全てのような書き方をしてしまうが、それが段々と、読んでいる人それぞれが感じ取ってくれれば良いという風になって、それがなんだか大人の書き方のようなかんじがするが、実はその先があって、感じるとかそういう次元じゃないものを書きたくなってきた。わかりやすく言うと、「感じます」と言葉で言える程度のことを書きたくなくなってくる。しかし私がどこまでマジでそう思っているのかはわからない。
ところで私は四時頃夢を見て、それはSMAPが出演するバラエティーの司会者を私がやる夢で、私はとにかく単語選びはシンプルに、はっきりとした口調で番組進行をしようと心がけた。その後風雲たけし城的なアスレチックなコーナーが始まり、私は短めのカーテンに落ちないよう必死でしがみついた。下が泥だったからである。
それで二度寝してまた起きたら雨はやんでいた。これが私の今日の文章です。