意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

要約名人

結構前から読んでいるが未だに読み終わらない保坂和志のエッセイ、タイトルが思い出せない、黄緑色の表紙でほとんどが「インランド・エンパイア」の話ばかりのエッセイ、「インランド」は映画なのですが(デビッド・リンチ)。リンチの名前も直前まで思い出せないでいたが、書き出して(あ、リンチ)と思い出したらファーストネームも出てきた。たまにそういうことがあると、思い出していないていで書いてしまうが、保坂和志のほうはまだ思い出せない。思い出さないまま書ききってしまいたい。とにかく終わりの方まで読んできたが、なかなか終わらない。前の方はふせんを貼りまくったが、ここのところはてんで貼りたいと思えない。内容がつまらなくなったというより、私がつまらなくなったような気がして不安になる。だから私はすぐにわかるようなことでも調べない。

そういえば私は小学生のころは要約名人であった。私の口癖は今でも「結局......」である。私は物事を私語で語るのが得意だ。いや、私語ではなく、みんな語だ。だから褒められ、名人と崇められるのだ。正確には名人なんて言われたことはなく、国語の時間に随筆の第2段落を要約しなさいといわれノートに書いたら、担任がいたく感心して「黒板に書きなさい」と言い、書いたらそれがクラスの誰よりも短かったというだけの話だ。もちろん最低限の意味はカバーしている。他の人は「短く」を「削る」というところまでしかこれなかったが、私はもっと短い言い回しを探してきて置き換えたのだ。だからそれは単に語彙の量と少しの勇気の問題なのだった。とにかく私はそれ以来要約名人を自覚し、要約名人は色んな場で一目置かれるのであった。

全然関係ないが、子供が「なかよし」という雑誌を買っていて、私はマンガ雑誌を目にすること自体久しぶりだったからこの安そうな紙の固まり、ちり紙交換のドライバーがよだれを垂らして喜びそうな厚ぼったい紙の重なりに私は感激して
「貸して」
と頼んだら素直に
「いいよ」
と言うから、大人の権力をかざさずに済んだ。それで読んだらバスケ部のマネージャーの女の子の話で好きな子はバスケ部のエースで一年で転校生で序盤はゴールをばしばし決める。しかし実はその試合に元カノが見に来ていて、それに気づいたエースは思い切り動揺してプレイに精彩を欠き、先輩たちに、
「どうした?」
と言われる。その理由を知る主人公は、小さい声ながらもエースを応援し、あまりに小さい声だから周りの人たちは
「何あれ?」
とクスクス笑うが、かまわず応援していたらそれがエースの心を打ったのか、いきなり立ち直り、2コマくらいで逆転勝利してしまう。

この逆転勝利までの2コマが要約と呼ばれるものではないか。私の子供のような人なら男女の仲が壊れずに済んだからめでたし、なのかもしれないが、私としては一度狂った調子がたったひとりの応援で元通りになり、さらに何の作戦もなくあっさり勝ってしまうという展開に納得ができない。