意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

気が気じゃない

子供が友達と学校で遊ぶというので気が気じゃなかった。学校までは一キロくらい離れていて、そこを自転車で行こうと言うのである。通学路を通ると安全だというが、国道沿いでこけたらトラックにはねられてしまう。春先に隣の学校の小学生が夕方にトラックにはねられて死んだ。それで私の子供が死ぬ確率は少しは下がるのかもしれないが、それはただの気のせいだ。じゃあ行かせなければ良いが、遅かれ早かれそういう日がくるのだから、未来の私に負担をあたえても仕方がない。ついて行くと言うと特には嫌がらなかった。初めてだから子供のほうにも不安があった。三年生である。私は小学校にあがってすぐくらいから、友達の家には自転車でしょっちゅう行っていた。遠い家もあった。県道の向こうの川でザリガニを捕りまくり、それを走るトラックに投げつけてうまくつぶれるように仕向けたり、あと自転車の後輪に巻き込んですりつぶしたりした。夢のような日々だ。私よりも大人の人が子供のころは蛙の肛門にストローを差し込んで空気を入れて風船みたいにして遊んだという話を聞き、なんて残酷な、と思ったが思い出してみると私も残酷だった。ただしザリガニをすりつぶして遊んだのは一度か二度で、そんなことをやろうと提案するのはいつも同じ男だった。彼は年齢が上がるとどこかの魚の養殖場のようなところに忍び込んで、魚を釣るという遊びもした。柵の中に建物があってその前にさらに柵があり、その中に池があって魚がうようよいた。池の真ん中にコンクリートの仕切りがあって、そこに座って私たちは釣り糸を垂らした。私はやらなかった。彼の話だと池はかなり深く、そのため私はそこにいるのが嫌で仕方なかった。外には普通の川があるから、釣りならそこですればいいと提案すると
「あそこはCだからダメだ」
と言われた。柵の中はAなのである。養殖場、と書いたが実際は何の施設なのかわからず、大人になって再び訪れたいと何度も思ったが、今となってはどこにあるのか見当もつかない。子供の行動範囲だから、そんなに遠くにあるわけでもないのだが....。私は「オシッコがしたい」とか言って池のそばから離れ、建物の周りをうろうろしたが、人の気配はなく、建物の裏には枯れたススキだのが茂っており、半ズボンで歩くとかゆくなりそうだった。そうしてある程度時間をつぶして再び柵の中に戻り、彼は釣りに熱中していた。

そういう経験をしながら子供がたかが学校へ行くくらいでびくびくするのは意気地がないが、同時にこの気が気じゃない感じが楽しくもあった。この状態で何か書いたらさぞかし地に足がつかないものになるだろうと思った。ホームセンターに行って工具をいくつか買った。ドライバーがなめっている、と後輩に指摘されたからである。自分で買えよと言いたかったが、そうすると実際に買ってくるが領収書ももらわず、しかも本人は
「経費申請するの面倒だからいいです」
とか平気そうにするからなお性質が悪いのである。弁が立つから私も
「ああ、そう」
と済ますことにしている。そんな風に過ごしながら、あとチェコ好きさんが紹介していた本を読みながら時間をつぶし、もし子供が死んだらザリガニの呪いかもな、と思った。ザリガニは「サバイバル」というさいとうたかをの漫画で食べているシーンがあってロバートというアメリカ空軍の人が「ロブスターだ」とよろこんで食べていた。地球規模の大地震で世界中がめちゃくちゃになり、エビなど呑気に食べている場合ではなかったのである。ロバートはやがて死んだ。私は子供が今日死んだら、ロバートのことを何度も思い出すだろうと思った。他にもたくさん死んだが。

こんな風に書くとまるで「お父さんは心配性」という漫画みたいだが、私は子供の頃から誰か死ぬんじゃないかと不安になることは多く、子供の頃は母が参観日に来てそのまま懇親会に出たから私は家でひとりで、やはり事故にでもあってるんじゃないかと窓に張り付いてレースのカーテンの影からずっと外を見ていた。しかしいつまで待っても帰ってこないから仕方なくコタツで寝てしまおうと思って眠くもないのに無理して寝たら、起きたら母は台所に立っていたからほっとした。