私は男であるから十代半ばを過ぎた女子がその男親について抱く感情はよくわからないが、はたしてそれは臭いの問題なのかと思う。私は十代のとき、あるいは今でもイライラして仕方がないときがある。今では表面上はニコニコしてやりすごそうとすれば、たとえそういうのがうまくいかなくとも周りも「あ、繕っているんだな」と思ってそっとしておいてくれる。そっとしない人もいて、そういう人はどんなときも自分の感情がいちばんに来ているように私には見え、おそらく一生そうなのではないか。いつかはそうじゃなくなるかもしれないが、私としてはずっとそうであってほしいと思う。そういうときはこちらとしてはブチ切れる大義名分を得られたととって、爆発してしまうのもありだが。結果はどうなるかはわからないが、感情を爆発させる際は順番やタイミングをあやまらなければ、いくらかの同意や同情を得ることができる。
私はしかし、父や母、特に父を身近に見て、「この人はひょっとしたらもっと若いときはこんな風ではなかったのではないか」
と思ったりした。そのときは私はまだ子供だったから軽々しくそんな風に思った。しかし私は一方でフェアであるように、今でも心がけている。そうであり続けるためにいちばん大事なのはやはり、孤立することではないかと思う。孤立でなくても、できるだけ少数であったり、虐げられたチームに属するのが、他者の声に耳を傾けやすい。多数に属してそういうことができないわけではないが、自己チェックの回数や質の担保は、そうでないグループよりもずっと神経質になる必要がある。
私は私の人生を省みて、どうしてこんなにもふにゃふにゃなんだろうと考えることがある。ひょっとしたら、私には私がないのかもしれない。だいたい、人の言われるがままに生きてきた。他人の言うことには間違いがないからである。あるいは間違っていても、それは私の解釈の問題であるととらえてきた。たまには他人ではなく、自分が思う風に振る舞いたいこともあったが、そのためにはかなりのロジックが必要だった。それが割に合わないと思ったら、口をつぐむしかなかった。