意味をあたえる

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神経衰弱

神経衰弱は総じて子供のほうが強く私は負け続けている。子供というのは私の子供ということではなく世間一般の子供のことである。私は高校生くらいのころから年下の従姉妹だとかに負けて「神経衰弱は小さいこのほうが強いなあ」と思った。私がそれくらいのときは特別強かった記憶はない。私の頃は大人が遊んでくれなかった。まるっきり遊んでくれなかったわけではないがババ抜きとか七並べばかりだった気がする。私はその頃その三つしかトランプの競技は知らなかった。その後にはポーカーとスピードとセブンブリッチをおぼえた。セブンブリッチは小学校のときにやり方の紙を誰かが持っていてこんな複雑なルールをおぼえられるもんかと思ったが誰かがやり出したらやるようになった。しかしあのゲームはなんなのだろうか役がそろい出すと何枚持ってようが突然上がりとなってしまうのである。極めて暴力的なゲームだ。しかしあの頃私たちは「ポン」だの「チー」だの言いながらゲームに興じていたが実は間違ったルールだったかもしれない。だいたい最後は場に捨てるカードを一枚残さなくてはならずわざと一枚余るように役を作らなければならないというのが嘘っぽい。間違ったルールでゲームができるのだろうかという感じだがいつだったかカードゲームのUNOの説明書を初めてちゃんと読んでみたら私が思っていたのと結構違っていて驚いた。ドロ4をドロ4で跳ね返せるのはローカルルールだったのである。大貧民はローカルルールの宝庫である。覚えた頃は革命もなかった気がする。あるいは革命なんてありえないと思っていたのかもしれない。当時の私は保守的だったのである。当時というのは小学五年か六年で湾岸戦争が起きていた。学校のテレビで多国籍軍がどうとかやっていて友達が「フセインマジ死ねよ」と言っていた。私はその言葉に違和感をおぼえた。


それから20年以上経ちアメリカがシリアにミサイルを撃ったというニュースがやっていてそのニュースを見た義父が「ムバラクなんかとっとと殺しちまえばいい」と言っていて何歳になっても小学生のような思考回路の人はいるんだと感心した。義父からしたら世界情勢にしろ読売巨人の成績にしろ同じなのである。もちろん緒方監督なんて死んじまえとは言わないが(憎らしくて仕方ないくらいは言う)