意味をあたえる

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わり算ができなくなった

子供の算数を見ていたらわり算で「ある数をいくつで割ったら答えがいくつで余りがいくつになった。ある数とは?」みたいな問題があって子供ができないのでこの子は算数がな苦手なんだと思った。私は「最初に余りを引け。そしてかけろ。逆の符号が基本」と教えたあとに答えを見たら余りは足すものでしかも足すのは最後だった。私は子供のころは算数が得意だったから愕然としてしまった。ひょっとしたら私が子供のころ見た足利尊氏の絵が実はただの武士の絵だったみたいなノリで割り算の確かめ算も特定の状況下ではうまく導き出せないみたいな発見があって求め方が変わったのかもしれない。私は数学よりも算数のほうが得意で私の区別では算数と数学の違いは現実にそくすか否かで例えば私は対数とか複素数とかはお手上げだが「なんとかメートルの汽車がトンネルを抜けるのは何秒後か」みたいな問題は今でも普通に解ける。中学以降は方程式を立てる問題でも数字をこねくり回してそれっぽい答えを出す求め方のほうが得意である。


しかし算数の世界における現実もかなり特異であり子供の問題をそのあと見ていたら「何百羽の折り鶴を何人で折るにはひとり最低何羽折らなければならないか」という問題があってこれはいわゆるわり算の洗礼みたいな問題で計算に余りが出るのだが「5あまり4羽です」と答えたら論外だし「5羽です」もバツをくらう。ひとりが5羽ずつでは目的の数には達しないので6羽折らなければならない。しかし律儀に6羽ずつでは余るのだからこの場合はやはり得意な人だけ多めに折ればいいのではないか。


私の現役時代は「5人掛けの椅子は何脚必要か」みたいな問題があって2余るのだがその余った2人のためにもうひとつ5人掛けを用意せねばならずこれも釈然としない。痩せてる子で固めた臨時の6人掛けで乗り切れないのか。あるいは補助席というものはないのか。そういえば同じ子供がこの前バスで社会科見学に行ったら立って行ったと言い最近のバスは補助席がないのかしらと思った。私はやはり補助席があったほうが遠足というかんじがするか飾りでもいいから付けてほしい。