意味をあたえる

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山下澄人「ほしのこ」

山下澄人「ほしのこ」を買った。本屋で初めて買った。この前芥川賞をとったから本屋でも買えるかなあと思ったら一冊あった。それまではインターネットで買っていた。インターネットで買うことが悪いとは言わないが手元にくるまでタイムラグがあるのが不便だ。本屋だってなければ注文するのだから同じではと思うかもしれないがなければあきらめればいいのである。買うことが約束されて手元にないのは違和感がある。読みたいときに読めないのは不便だ。私は確かに本屋で注文するというのはしたことなかったからインターネットばかりが不便にかんじてしまう。私は実はほしいものが売ってないと心のどこかで安堵するのである。「買わなくて済む」と思うと気が楽になる。買うと買った分だけ楽しまないといけないというプレッシャーをかんじてしまう。じゃあ立ち読みだとかタダのものがいいんですねとなるが無料だとやっぱりつまらない。借りたCDと買ったCDだったら買ったCDのほうが良い音がする。そんな風なのでほしいものが店頭にないと幸運だと思うくらいである。たぶん私は子供のころに色々買いすぎたのだ。


私が本屋で「ほしのこ」を手にとってすぐにレジに並ぶと妻が仰天していた。妻からすると本というのは吟味しながら買うものなのである。そういうときもあるがすでに欲しい候補がいくつかあるというのをことに本に関してはないと思っているのである。私はもう夕方だしさっさと買い物を済ませて家に帰りたかったのである。妻は帰りたがらない女なので構わない風だった。そしてそのままうまくお金を貯める本みたいなのを立ち読みしていた。まさか買うのかと思ったが買わなかった。子供が切ない生き物だかかわいそうな生き物の本を欲しがったので買い与えた。ゴリラはB型しかいないとかそのたぐいの本である。家に帰ってから
「蟻は16分しか寝ないんだってー」
とかどうでもいいことを吹き込んできて困った。妻はこの前のフジテレビの「ザ・ノンフィクション」の北九州の殺人事件の息子のやつを見ていて電気ショックがどうとか言っていて耳にはいるだけで嫌な気持ちになった。
「最悪」とか
「頭おかしい」
とか妻はどん引きだが私は実は落ち込んでいる。どん引きというのは多分他人ごとで自分には関係ないと割り切れるから抱ける感情なのだが私の場合はどこか当事者のような気で見ている節がある。