意味をあたえる

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心ひらける人

「漱石ありますか」と学校図書館へ来た生徒に、学校司書が違う本を勧める理由 - 弁護士ドットコム

学校の司書でなくても少し話すだけで自分のことをべろべろっとひけらかす相手はいるだろう それを波長というのか相性というのかはわからないが例えば上記の記事では学校の先生に「なりたいものがないなら公務員になれ」みたいに言われて図書館にきて司書と話をしたら実はディズニーランドで働きたかったみたいなことが書かれているが逆に先生のほうにディズニーランドというパターンもあるだろう 私も若い人と話をしていて「もっと主張してくれよ」と思うことが最近あったが彼からしたら言ったところでつまらない返事しかこないだろうと判断したから言わないだけなのだ それを私の訊く力の不足みたいな判断もできるがもうそれは私が彼にとっての司書じゃなかっただけの話だ 


私にも司書的な相手が2人くらいいたがしかしそれは生涯の親友とかそういう類ではなく相手からしたら私には何でも話せる相手ではなかった それは寂しくもあったが逆に私から見て何でもない相手が実は彼にとっての司書は私だったみたいなパターンもあるだろうからおあいこなのだった


私はたまに過去の自分に会いに行って色々アドバイスしたいと思うが私が私に心を開くかは微妙だ 私は実際まったく納得していなくても「わかりました」と言える性格だった 今の自分のところに未来の自分を名乗る人が現れたとしてその人が間違いなく未来の自分だと証明したとしてもやはり気味の悪さをかんじるだろう  逆に考えればそういう疑り深い私の性格を理解しながらやってくるのだから相当切羽詰まった事情があるのだろうと考えることもできるが