意味をあたえる

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家事にも対価を

道徳の授業で「お母さんの家事にもお金を払うべき」という子供の意見が「母の愛は無償」という教えにかき消された瞬間 #クロ現 - Togetter

少し前に行動経済学の本を読んで保育園のお迎えの時間を守らない保護者が多いので遅れたら罰金を払うシステムにしたら遅刻の件数は前よりも増えたという実験結果がでたという話が載っていて私の直感に反するが家事に対価をみたいな考えが浸透したら同じようになるのではないかと思った 同じの意味は実施した人の思うような結果にならないという意味での同じだ 私なりに行動経済学を解釈するとつまりお金が絡まなければ人は寛容で絡むとシビアになる よくあるのが安く請け負うとそれがスタンダードになって後の人が困る(から安くしない)みたいな考えでだから対価の発生する労働には慎重になる みんなが慎重になるというわけではなくその辺がきっちりできる人がいわゆる「お金持ち」なのだろう だから将来家事を担わない人の稼いだお金から家事労働者にお小遣いを払う慣習ができたとしてお金をけちると夕食の味を落とされたり洗濯物を後回しにされたりするのだろう 私も今朝洗濯するときに妻に「あまり洗濯機に物を詰め込まないよう注意され仕方なく自分の寝巻きを洗わないことにした 私は対価をもらおうとも思わないしよくできた夫だとも思わない 私は単に妻の家事の仕方が気にくわないからやっているだけなのである だから今日はたまたま休みでしかも朝は寒かったせいか体が重くてなかなか起きあがることができずに義母に洗濯機を先に使われやむを得ず妻の前で洗濯をしなければならなかった 普段は起きてこないうちに素早く回してしまうのである


私の子供のころはお手伝いの対価としてお小遣いをもらうというのは固く禁じられていて両親も請求した私に「わが家はそういうやり方はしない 手伝いは手伝い、小遣いは小遣いだ」と口に出して伝えた だから手伝いは本人の意思に任されていて頼まれごとを断っても怒られることはなかった 洗濯物を干しっぱなしにしても怒られなかったが雨が降ると隣の家の人が乗り込んできて気まずいので自主的に取り込むようにはした 当時はずいぶん融通のきかない親だと思ったが上記記事の家事の対価みたいな話を読むと結果的に行動すべてに金がからむみたいな考えにならなくて混乱が少なかったように思う だから母親が0円の請求書を子に出したというエピソードも単なる皮肉か冗談にしか思えない 私なら子が請求書を出してきたらそれはきっちり払って二度と頼まない旨を伝えるが揉めるからやらない