意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

境界

妹は実家暮らしでしょっちゅう韓国に遊びに行っている 私はとっくにパスポートは切れ行くとしたら専ら那須だの軽井沢である この前千葉にも行ったが茨城だったかもしれぬ 一度だけ行った茨城の動物園が強烈に個性的で面白かったが最近志村動物園で取り上げられるようになってもう以前ほど面白そうではない 園長が80歳をこえていてというのは知らなかったが私が言ったときは旅館のみやげ物屋みたいなところで怪しげなおっさんがくつろいでいてその後おっさんはマジシャンでもあり私たちはショウを見た 観客は私たち家族だけであり子供はまだ幼く妙に緊張した 「たまたまこっちの方に来た」みたいなことを言っていて彼はそこのレギュラーではないみたいだ そのときの様子はこのブログにも書いた気がする また来たいと思ったがもう来ない気がする それは志村動物園とは関係ない そこは伊豆にある怪しい少年少女博物館とも似た雰囲気の場所だった 感性が追いつかなくてイライラした 夏で冷房もなかったから尚のことである 芸術とは違う気がする 他人の顔色が読めず面白いこと言っているつもりが周りはすっかりしらけているかんじだ 私は他人の顔色をうかがってばかりでおかげで少しは他人の笑いをとることができるがそのことが恥ずかしい 


私にとって外国とはそのような場所だ


妹は幼いころサイダーをこぼし泣きながらテーブルをなめていたが私は当時はあわれだし滑稽にかんじたが今思えばなんかかわいい そのような時代はいつのまにか終わり今は金をためては韓国へ旅立つの繰り返しだ たまには屋久島だのも行くらしい 私ももののけ姫が好きだから屋久島で屋久杉を見てみたいが見なくてもいい気がする 屋久杉まではけっこう歩くと妹に聞かされなんか面倒になった 大人になると家族は「あがり」になるというか一気に疎遠になる 老いた両親を見てこんな人たちだったかと首をかしげたくなるが記憶の中の両親はおぼろだ 何故なら今のバージョンに上書きされるからだ 母はメガネの女だったがいつからかコンタクトになっていて私の子供などはメガネをかけた祖母の姿を見たことないがそのうち私も眼鏡バージョンを忘れてしまった べっ甲のフレームの折れ曲がるところのネジが取れてなくなりセロハンテープで補強していた記憶がある 母とべっ甲とセロハンテープは思い出せてもそれらが脳の中で一緒になることはない 私の子供もすでに幼児ではなく幼児だった頃の記憶もうすれた 最近裏の道が渋滞するくらい混んでいてなんだろうと思ったら近所の幼稚園で父親参観をやっていてそれが終わったためだった 私も何年か前にはそういうのに行ってカタツムリを捕まえたりしたのだ 帰りに「お土産に枝豆の八があります」と言われたが面倒だから持って帰らなかった