意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

背中あわせ

数日前の旧川さんの記事で、
「夫と背中あわせで寝ている」
ということが書かれて私にとってはタイムリーだった。なぜならその前の晩に私も娘と背中合わせで寝ていて、やはりあの寝方は隙間が空いてしまうとそこに冷たい空気が入ってきて寒い。旧川さんは夫と背中合わせで寝る場合に、夫が背中を丸めて寝るからそこにスペースを生じさせないために自分は背中をのけぞらせて寝る、と述べていた。そのような自分を
「「ラブストーリーは突然に」のジャケットの小田和正のよう」
と例えた。私はこの例えがとても気に入った。なぜなら、私は深夜番組の「久保みねヒャダこじらせナイト」という番組を一時期熱心に見ていたが、特に気に入っていたのが歌の歌詞の意味を深入りして考える、というコーナーで、そこであるとき「ラブストーリーは突然に」が取り上げていて、そこで
「どうやらこの歌の主体は、現実の生きている人間ではないようだ」
という結論に至った。歌詞全体がぼんやりしていて、意中の相手に近づき、共に何かをするという描写がまったくないから、というのが根拠だった。そしてあの小田和正がのけぞるジャケット写真も、実はビルの屋上から飛び降りる瞬間の男性を模したもので、結局はかなわぬ恋に自ら命を絶った男性が、みずから風となって相手を包み込む、という歌であった。「千の風になって」の千分の一バージョンである。

東京ラブストーリーは、私が小学六年のころに放送されていて、なぜ六年生だとはっきり覚えているのかと言えば、学校の朝の会や帰りの会には歌のコーナーがあって、そこで「ラブストーリーは突然に」を歌っていたからである。ラブストーリーなんて、小学生には刺激が強すぎるのかもしれないが、六年生にもなると、取り上げる歌も自分たちで決めてよく、そういうぶぶんで自立心を養うという狙いもあった。クラスには歌の係というのがいて、その係の人がみんなのリクエストを受け付け、採用したら歌詞に起こして先生に頼んでクラスの人数分わら半紙に印刷してもらって配る。「ラブストーリーは突然に」は女子からのリクエストで、男子は「キャプテン翼」とか「ドラゴンボールZ」とか「ホネホネロック」をリクエストした。男子ばかりのリクエストを受け付けて、弓岡のクラスは男尊女卑だ、と思う人もいるかもしれないが、私自身が男子だったから、女子の歌をとっくに忘れてしまったのです。妻は米米CLUB「君がいるだけで」を歌った、と言い張るが、妻とはクラスはおろか、学年すら違うからどうしてそんなに自信満々に言い張るのか謎だった。仮に妻のクラスで歌ったからと言って、必ずしも私のクラスで歌ったとは限らないことを妻は理解できない。私は六年の時は三組で、学活の時間にはテレビゲームも許可された時代だったが、三組はボンバーマンで、一組はスターソルジャーだった。私は元一組の生徒と今でも仲良しだが、彼は
スターソルジャーは最高だった」
と主張するが、スターソルジャーは男子は満足だろうが、女子が戦闘機を操って細かい豆みたいな弾を避けながら、空母を破壊したりするゲームに満足するわけない、と私は思うが私は頭脳明晰だからそんなこと言わない。しかしスターソルジャーが戦闘機ならボンバーマンは文字通り爆弾魔で、複数のそれらが互いに殺戮しあうのだからどっちもどっちだった。

ところで歌の係は冬でも半袖体育着でいるような男の子で、そういう人はどの学年にもひとりはいて、私の一つ上の学年には女の子にそういうのがいて、私は小学生のころは病弱で冬は最低四枚は着ていたから、とても同じ人間には思えず、それで夏になって私と彼女は同じ保健委員であるとき委員会で彼女を見たらなんと半袖短パンの私服で来ていて、私は、
「半袖の体育着は生地が厚いから、夏だと暑くて着られないんだ」
と感心した。それで歌の係の男の子は一年中体育着で、リクエストの歌の歌詞を起こすとき、文化祭でもないのに地べたに紙を置き、肘、膝をついて四つん這いになって文字を書いていた。傍らには担任に借りたモノラルのラジカセがあった。私はそれを見て
「育ちが悪いな」
と思った。