意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

大人

大人になって会社に行くと信じられないくらい仕事ができない人がいてそういう人の利害関係者になるとうんざりしてしまうのだがそういう人にも配偶者と子息がいておそらく家族はお父さんがお母さんが夫や妻が会社で誰かにうんざりされているなんて夢にも思わないのでないか夫・妻なら相手も大人だからなんとなく普段の態度からわかるのかもしれない私の妻などは私が会社でいろんな人に迷惑をかけていると思っている節がある しかし子供からしたら想像できないしもし親が会社で誰かに「使えねぇ」とか思われていると知ったらショックではないか 私は子供時代から「窓際族」という言葉を知っていたし大人でもうまくやっている人とそうでない人がいることは知っていた それでもまさか自分の親がそれに該当すると思えない つまり私の親・父親は比較的高圧的な上に理屈にも強いからダメなところが想像できなかったのである


あるときふと寄ったスナックがたまたま父の行きつけのところでそこで「あなたのお父さんは変わってしまった、あなたのお父さんの部下がたまにくるがみんなあなたのお父さんのことを悪く言う」という話を聞いたがやはりショックはあったがそのときは私も大人だったので「そういうこともあるだろう」と割り切ることができた そのあと父は左遷され最後はやめさせられてしまった


私は何が言いたいのかというと子供からしたら大人の大部分はベールに包まれていて見ることができないが逆に大人になってしまうと子供がベールに包まれてしまう 自分の子供時代は記憶をたどることができるが自分以外の子供はできない 自分の子供を見ていると子供ってこんなだったっけ? とよく思う 私は忘れ物が非常に多い子供だったしあと体も弱かったからいつもハラハラしていた 心配の種を頻繁に抱えていて心の中が重苦しかった あまり好きではない人に毎日のように遊ぼうと誘われて気が重かった 決して楽しいことのなかった子供時代ではないがこうして書き出してみると北欧の白夜の反対の季節のような子供時代である そのピークが小学四年のときのイジメであったがなんとか耐えて五年になるとクラスが別になったので本当に世界がひっくり返るくらい状況が変わった 新しいクラスメートは誰も私を攻撃しなかったから私に非がないことが理解できた その後の二年間は私の人生のピークである


中学になるとクラスの半分が別の学校になったので私は少数民族となって肩身が狭かったがそのころには他人をあてにしない生き方になっていたので大きな事件もなく今に至る 私の子供がそういう毎日を送っているようにはとても思えない