意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

一貫した自分というのは幻想

自分が自分にそぐわない感覚はあるがそれを傍観することに決めた こうあるべき自分、というものは持ってもいいがそれと自分の行動は分けて考えるべきである ましてや他人やトレンドという変数がある そういうものを例外ととらえてもいいがそれなら行動に一貫性は持てないと定義する方がずっと楽だ そして考えは行動に対して従である 考えて行動するのではなく行動が考えを定義するのだ


過去の言動を引っ張ってきて「違う」とやるのはそれが許されないケースがあるにしてもナンセンスだ みんな違ってみんないいというのなら昨日の自分とも違っていいはずだ 過去と整合性を持たそうとすると苦しいのが普通だ


私は生き方を定義するのが好きなようだ どのように生きるのが自然なのか日替わりで考えている 趣味と言っていい だからそぐわない自分というのもそれが即座に生き死にのゾーンに入ることは滅多になく単に衣替えに取り残された壁の半袖を眺めているときのような心持ちなのである