意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ひとりになりたいのではなく誰かと喋らなくとも不自然じゃない場所に行きたい

ひとりが好きっていうといかにも子供じみていていい加減他人あっての人生だとしみじみ思う とはいうものの例えばあなたの口にする食べ物や身につけている衣服はみんな誰かが汗水垂らして作ってくれたものですよという発想もやはり幼い 若い頃はひとりでは生きられない世の中をいかにひとりで生きていくかについて考えていたがもっと生きていることに無自覚であってもいいと思えてきた


この前淀川が「自分の時間がなくて参っちゃう」と言っていてあぜんとした 子供の塾の送り迎えとかで時間がとられちゃうというのである 淀川は私より6歳年上で結婚して20年近く経っていてもそんなことを思うのである しかしそれは本音ではなく要するにただの不幸自慢なのだ 不幸自慢の不幸はフェイクである 近頃義弟の勤め先が変わってずいぶん家から遠くなったと聞いて地図を見たら私の勤め先よりも近くて私は傷ついた 義弟に対して「俺の方が遠いんだ」と言う気はまるで起きない 気の毒に思われて終わりである


昼休みにひとりでいることが増えた 建物のすぐ外が喫煙所になっていてそこでのおしゃべりが聞こえてくる よく通る声とそうでないのがあってひとりで何を笑ってんだと思ってよく聞くともうひとつ電波の悪いラジオみたいな声が聞こえる 正直そこに乗り込んでいきたい気もするが正直ひとりでいたいし私が話に加わらなくてもたぶん誰も不自然に思わない