意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

帰納と演繹

相変わらず帰納と演繹がどっちがどっちだかわからない どこにとっかかりを作ればいいのかわからないからわからない たとえば「相対化する」という語句の意味が長い間わからなかったがある日「絶対化の逆」というとっかかりを得たらすっと腑に落ちて自分でも進んで使えるようになった いわゆる「ものにする」という状態に至るためにはどこかで意味に至る道を自分ナイズしなければならないのである


あるいはもっと単純に「お箸持つ方が帰納、お茶碗が演繹」となればわかりやすいのだが 帰納と演繹の説明例にはいつも蛙が出てきてへそがどうこうというはなしがあるがあれも大変わかりづらい