意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

公園

知らない町で四時間くらい時間をつぶすことになりそういう制限的な自由が充実を生むことに気づいた 例えば「朝からひとりだよ」となると自由が自由すぎて無為に過ごしてしまうことが多い 掃除をしようとか買い物しようとか自ら制限してしまうこともある 「終わったら自由」でも取りかかりを先延ばしにして時間を削ってしまうこともある 私は自分が思う以上に自由というものを恐れていてそれは自由に伴う責任におびえているのである


その点制限付きの自由ならその責任を制限した相手に転嫁できるから気楽なのだ 「こんな何もないところに連れてこられたから」と思えばいいのである


私はその時間をドラクエウォークをやってつぶした 予想以上に日差しが強くて暑かったが汗をかきながらしつこくうろうろした 日陰を見つけるとそこで画面を確認した 公園を目的地にしたら見つからずに何故だろうとおもったら畑だと思った場所が公園だった 遊具は何もなく木のベンチがいくつかあって奥は植物が飢えられていて立ち入り禁止の札があった 私がこの公園にまんぞくしたのは言うまでもない