意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

人間は忘れる動物

人間は忘れる動物だからという言葉が昔からあるがその言葉を本当に理解するのは難しい。私も当然忘れ続けて生きてきたが思いのほか忘れない動物であった。忘れない動物であることに気づいたのは、やはり忘れる頻度が増えたからである。よく細胞は3ヶ月ですべて入れ替わってつまり3ヶ月の前後は別人ですよという話もあるが、やはりそのことを実感するのは最近になってからで、年齢が少ない頃は過去と現在は強固に結びついていた。参照する過去が少なかったせいもある。


私はメモをとるのが苦手で社会人になるとメモをとりなさいとよく注意を受けたがとったところで見返すことはほとんどなかった。自分の字が汚いとかとったメモをなくすとかそういう理由かと思っていたが実のところ大体おぼえていたから見返す必要がなかったのである。


ところがここ数年は扱う情報量が爆発的に増えてしまってもうメモに頼るしかなくなってしまった。例えばスケジュール帳というものをつけると約束を反故にする確率がぐんと下がった。そうすると私がいよいよただの入れ物にすぎないということが身にしみるようになってきた。パソコンやアプリケーションの気持ちがよくわかった。


そういう気持ちになってくると最初はPCに直接打ち込んで横着していたものが、段々と紙に漏れなく記したい気持ちになり、それをPCに清書するという時間を別に確保するようになってしまった。忘れていたが私はブログという物を年単位で続けていた過去があり、文章を書くことには不自由しないのであった。単語を並べると意味が自然と浮き上がりそれはさながら魔法のようであった。