意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

ミュゼプラチナム2

今日は再び電車に乗る機会があったので乗ったらまたミュゼプラチナムの広告が目に付いた。今日見たのは以前のと微妙にポーズが異なっていて、またドアを挟んで以前の広告もあった。相変わらずの特徴に乏しい2人組だが、そのせいで新ポーズの2人が旧ポーズと同一人物なのか判断がつかなくなってしまった。新ポーズは微妙な笑顔なので旧と似ているものの目鼻の大きさが若干異なっている。右の女は旧では三白眼なのが新ではそうではなく見える。別のモデルを起用したものの担当者の顔の好みのせいで結局似たような顔立ちになったと見えなくもない。服装は同じだ。結局は2人の手を見て同じと判断した。もちろん私はミュゼプラチナムの広告のターゲットではないので私が彼女らにどんな印象を持ってもなんら影響はない。


頭の中で会話する人とそうでない人がいるという記事を読んで自分がどっちに属するのかイマイチわからなかった。わからないということは会話しないグループだろう。小説を読んでいるときはその文体で自分の考えや行動を実況してしまうことがある。「~と思った」なんて思ってたりする。たまに良い考えが浮かぶときも「○○したらいいんじゃね?」とは思っていない気がする。かといって映像なのかと言われてもピンとこない。