人ごみが苦手、という人はたくさんいるが、人ごみが得意という人は見たことがない。せいぜい苦にしない、程度だろうか。昨日はいつもの帰りよりも早い時間の電車に乗ったら思いの外人が多くて驚いた。少し時間をつぶさなければいけなかったので改札前に突っ立っていたら次から次に無限増殖みたいに人がわいていた。たくさんの人が毎日移動しているのだと感心してしまった。コロナが騒がれたときはもっと人が少なかったのだろうか。私の会社はとっとと本社を小さくしたからテレワーク継続なのだろう。私自身は現場仕事だから関係のないことだが。テレビ会議の発言しても反応がないかんじにもだいぶ慣れた。
今日も子供の発表会があって人ごみに行くから前日から憂鬱だった。きちんと席があればまだマシだがそうではなく場所取り等もしなければいけないから尚更だった。人混み系でいちばん統制がとれていたのは幼稚園の運動会で、夜中から並んでも開場時に入れるのは一度に5名までで焦って場所を確保する必要はなかった。聞いたら以前に慌てた保護者が転倒して骨折したという事故があったらしい。主催者側も「勝手にやってくれ」と言えない時代なのである。私は気が弱いから割り込まれてもヘラヘラしてしまうタイプなので統制してもらうのは賛成だった。でもそこまで苦労して確保した場所から子供を撮影しても後から見返すことはまずないのである。これはこの前会社で同年代が集まったときに話していたから私だけの感覚ではないだろう。
もしかしたら子供の姿を撮影するというのはカメラ業界の仕掛けなのかもしれない。昔に父が「杉浦んちは一脚を使っていてカッコ良かった」と話していて杉浦は普通はカメラは三脚で固定するところを一本足で固定するのだそうだ。一脚なら当然自立できないから支えなければならないが、手ぶれ防止のために地面に突き刺すのであり、それが上級者みたいでかっこいいのである。つまり保護者たちは互いのカメラの機材や腕前を探り、競い合っているのである。子供の姿どうこうは副産物であり、バレンタインのチョコレートと同じである。
私も最近は出来事や風景を写真にとるようになったがそれもスマホ屋の仕掛けであり、たまに通知欄で過去の写真をスライドショーで流したりするからついつい5年前7年前を振り返ってしまい、これから先の5年後7年後を楽しむために写真を撮ってしまう。