意味をあたえる

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少し前に読んだ小説について

秋のりんごの話

少し前に上記のページに出ている小説を読み、全体としては、それほど私は面白いとは思わなかったが、最初の部分が面白かったので、引用してみる。

からころとカウベルのような音を立てて、喫茶店に一人の女性が入ってきた。

正確に言えば、扉に付いているのは高地で放牧されていた牛がつけていたものを喫茶店のマスターが旅先でもらってきたものであるので、事実、カウベルの音なのだが。


何故こんなにドアのベルにこだわるのか。私は、今さっき読み返してみたが、やはり笑ってしまう。そのあと読み進めてみても、こんなに細かく物について描写されている箇所はない。あるいは、私の記憶に残らなかった。逆に話のトーンからしたら、推敲で真っ先に削られてしまいそうな箇所だとも思った。それくらい、この部分は浮いている。
この作者は、保坂和志の「書きあぐねている人のための小説入門」を、ひょっとしたら読んだのではないか、と私は推測する。なぜなら、このカウベルのくだりは、保坂和志がこの本の冒頭で語っている、「小説が生まれる瞬間」を見事に自分の物にし、再現しているからである。「小説が生まれる瞬間」についの一例は、あるとき学校の先生が「昔とはいつか?」と生徒に質問したときに、普通の生徒が「○年前」「○十年前」と答えるのに対し、ひとりの女の子は「お母さんのお母さんのお母さんの生まれる前」と答えたという。これが、小説の原型だと、保坂氏は言う。私の説明が悪くて、勘違いした人もいるかもしれないから補足するが、先生の質問にいろんな生徒が答えて、女の子だけ違うこと言ったエピソード、というのが小説の原型ではなく、女の子の言った「お母さんのお母さんのお母さんの生まれる前」が小説の原型です。この、お母さんのお母さんのお母さんの生まれる前」と、上記のカウベルのくだりが、私はとても似ていると思ったし、それがずっと続くのなら、ずっと読み続けたいと私は思ったのである。だから、これを書いた人がもしも保坂和志「書きあぐねている人のための小説入門」を読んだことがなかったら、ぜひとも読んで欲しいと、私は思う。私は、今ここに書くために久々にこの本を開いたらやはり面白いので、このままちょっと読んでみようと思う。特に、最初の方が面白いです。

ちなみに、今日の文章は、一度引用ボタンを押して書いた後に、引用を解除しようと思い、もう一度ボタンを押してみたら、引用の入れ子になってしまい、こんな体裁になってしまった。前書いたときは、こんな風にはならなかったが、構わず書いた。