意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

11月に雪が

11月に雪が降るなんて奇妙だが、よくよく見ると雪そのものが奇妙だ。窓から外を見ると、空が剥がれ落ちてきているように見える。近くで火事が? なんて思ってしまう。隣の敷地に大きな倉庫があり、それはテントでできていて、あるとき突風が吹いて私の会社の洗濯物が巻き上げられてその上にいっちゃったときがあって、電話をしたら
「テントなので、誰も上がれない。落ちるのを待つしかない」
と言われた。電話をしたのは私ではなく、以前の上司だった。ぜったいに落ちるわけないと毎日窓からテントを眺めていたら、意外と早く落ちてきた。正確には見えなくなったから落ちたと判断した。報告すると上司は大急ぎで取りに行った。なぜなら彼の上着が巻き上げられていたからである。しばらくすると彼は紙袋を下げて帰ってきた。それは十万石饅頭の袋で、私はいっしゅんお土産でももらったのかと思ったが、落ちてきた上着を袋に入れただけであった。彼は旅行者のようであった。

それから再び上着を洗濯することになり、しかし干すときは今度は腕の部分に物干し棹を通して絶対に飛ばないような干し方で、それを見た同僚が
「昔の干し方だ」
と喜んだ。確かに私も子供の頃、家でそのように干された上半身の衣料を見たことがある。子供というか、大学生くらいまでだ。大学生のころ私は暇で家によくいたから、洗濯物を取り込むことが多かった。そんなとき、棹に通された衣料を抜き取るのは複数だと難儀だった。私は昔から横着する性格であり、最初はひとつ抜き取っては棹を台に戻し、とやっていたが、もっと楽にできないかと、初期の状態でめいっぱい衣料を端にやり、それを腕ぜんたいで取りまとめ、一気に抜き取る方法をあみだした。腕全体でないと、建物に入れるまでに落ちてしまう恐れがあったから、力は抜けない。洗濯場から建物までは庭を横切る必要があった。庭と言っても2メートルくらいしかなかった。昔は芝生が植えてあったが、母が洗濯のために往復する箇所から土が露出した。父母は植物が好きであり、洗濯場の向こうに花壇があり、花壇の向こうは畑だった。

私は全盛期には三往復で家族5人ぶんの洗濯物をすべて取り込める段取りを組めるようになった。しかしその後母から「洗濯ばさみは外してほしい」と注文をつけられ、それからは少し回数は増えたかもしれない。当時はたたむことまではしなかったが、今はたたむようになった。妻は洗濯ばさみもハンガーも全く取らないから私はイライラした。妻は家事に限らず面倒なものはなんでも後回しにする傾向がある。

みどり帯

行きに外を眺めていたら建物の前を先輩後輩のコンビが歩いていて、先輩が後輩になにかを指導している。先輩はいかにも先輩然としていて胸を張り、後輩はいかにも後輩っぽく腰が引けている。二人はお互いに演じているのである。そういえばそれから昼になっていつも来るドライバーが後輩を連れていて、私は外に出なかったから先輩も後輩もわからないが、笑い声が聞こえ、後輩を連れているんだなと思った。外で仕事していた人に聞くとやはり後輩連れだったようで、どんなやつかと訊くと
どっちがどっちだかわからない」
と言う。それは主に体型のことでいつも来る人は小太りだから、新人も小太りなのだろう。小太りは往々にして愚鈍なイメージを持たれるが、この人はハキハキしているから嫌いではなかった。一度荷台のドアを閉め忘れて積み荷をぶちまけたこともあったが、私は大目に見てあげた。ものすごい音がしたが周りに人がいなかったし、どこかへ報告したりするのも億劫だった。それでも一応
「今回は大目に見ますが......」
などとそれっぽいことを言い、そういう自分が滑稽だった。私はふざけているならまだしも、大真面目に上からものを言うのが苦手だった。人にものを教えていても、すぐ
「なんだっていいんだけどね」
とか付け足してしまう。なんだっていいのは嘘で、なんだって良くやられていつも私はイライラしている。

なぜ偉ぶるのが苦手なのか、理由を考えてみると、私は小学高学年のときに少林寺拳法を習っていて、それは柔道みたいに白帯から始まり黒で終わるが、黒からはじまるのである。中学生以上の人はどんな人でも白の次は茶色で、茶色は三級でそこから段がつくと黒になったが、小学生は白→黄色→みどり→茶、と段階を踏んだ。私は最後はみどりで終わったが、みどりの中にも6、5、4級に分かれていて、確か5か4までは行った。たぶん5だ。小6でどうやらスケジュール的に4は無理だと思い、しかし中学になると4をすっ飛ばして3になってしまうのが気持ち悪いとかんじたのをおぼえている。とにかく私はみどりで終わった。みどりの期間が長いと、私の少しあとに入った人がようやく黄色からみどりになったとき、私はそのときどうかしていたのか、気が抜けていたのか、つい
「ようやく俺たちの仲間入りだな」
なんてクサいことを口走ってしまった。それは体育館の舞台袖の緞帳の影での出来事であり、そのとき新しくみどりの帯を渡された、私よりもあとに入った人が舞台袖で帯を付け替えている最中だった。私はすぐに「しまった!」と思ったが、案の定、一緒にいた人に、
「なに気持ち悪いこと言ってんだよ」
と指摘されてしまった。その場にはみどりの仲間が他に数人いて、おそらく全員が「気持ち悪い」と思っていたが、ほとんどは聞き流していた。「気持ち悪い」と言った人は私より年はひとつか2つ下だが、少林寺憲法暦は私よりも長く、みどり帯の期間は私よりもずっと長い。私は始めたのが遅かったから、こういうねじれが生じる人は何人かいたが、なぜかこの人とは馬が合わず、何かにつけてイヤミっぽいことを言われた。私はいつも善良に生きていて、大抵の人には「やさしそう」「やさしい」と言われるが、一定の人からはなぜか嫌われる。正直私は彼が苦手であった。今であれば
「なんだよ、仲間だろ? みどりグループの!」
などとわざと火中に突っ込むような真似をして、被害を最小限に食い止める術ももっているが、当時は私は未熟であり、今思い出しても赤面するくらいの記憶であり、トラウマである。

がんばれと言われてがんばるなんてバカみたいだ

ラジオを聞きながら仕事をしていたらラジオから歌が流れてきた。その歌詞が子供の親権者をひたすら励ますという内容で、聞いていて恥ずかしいというか仕事も何もぜんぶ放棄したくなる気持ちになった。がんばれ、がんばれ、を連呼して私は子を持つ親であるが、自分は当事者ではないと必死に言い聞かせた。一緒に仕事をしている、子を持たない独身のメンバーや離婚して子とは別々に暮らしているメンバーにも耳に残るメロディーだったようで、口々に
「なんなんだこの歌は......」
とつぶやいていた。曲が終わった後に口々に感想を言っていたらある人が、
「こんなこと歌いながら裏じゃ麻薬とかやってんだからよー」
と言ったので私は和んだ。ミュージシャンを犯罪者と決めつけるのは良くないが、犯罪でなくとも、気持ちが殺伐としている人はたくさんいるのではないか。「がんばれ」と訴えながら、本心では全くそうは思っていない、と感じられることで、私は救われる気がした。あるいはものすごい体位のセックスとかするのかもしれない。

私は芸能人のことを考えると、やはり村上春樹の「ダンスダンスダンス」のことを思い出してしまい、五反田くんという芸能人のことを考えてしまい、芸能人が可哀想になってしまう。五反田くんには別れた女房がいるのだが、たまに会っているらしく、
「女房とのセックスがいちばん楽しい」
なんて言っていて色々普通じゃない。私はこのブログで以前も五反田くんのことを書いた気がし、ひょっとしたら村上作品で「ダンスダンスダンス」がいちばん好きかもしれない。村上春樹自身の評価は低いようで、「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の続編は書くかもしれないが、「ダンスダンスダンス」の続きはない、と言っていた。もちろん、続きがあるものが面白いわけではないが、どんな評価の低さだったかは忘れた。私はおそらく五反田くんよりも年上になったのだろう。

道順

車で通勤するが、飽きてくるので定期的にルートをかえている。今の職場は車で30分弱のところにあり、ルートは大まかには2つ、中まかには3つ、細かく分けるとその倍くらいある。最近も新たに開拓したルートを通っている。私はだんだんと、大通りを通るほうが好きになった。人によっては最短ルートを通ることを良しとして、かなり細い道をくねくね走ったりするが、そういうとき、壁には政治家の静止画(ポスター)が貼ってあったりする。私は、
「よくもこんな細かいルートを通れるものだ」
と感心したりするが、本当に早いルートなのかは謎だ。そういうルートを選ぶ人は早く着きたいというよりも、なるべく止まりたくない、という欲求が強い人に感じる。私も車を運転していて長い時間止まるとストレスを感じる。しかしそれよりも特に朝などは、信号でとまれることを「ありがたい」とすら思う。なるべく信号のない道は早道の王道であるが、そのぶん裏道であることが多く、止まれの標識で止まるほうが多い。止まれで止まると、左右から車や歩行者は止まってくれないから、いつもぶつかるかどうかを頭でシミュレートしなければならず、それが億劫だ。しかしそれは運転者の義務だから、サボるわけにはいかず、ブロック塀のせり出した家などの横を通るときは、上体を前屈みにして首を一生懸命のばさなければならない。ブロック塀からは柿の木とそれになる果実が見えた。思惑よりもスピードの遅い車だとイライラするし、逆だとハラハラする。さらに後ろに車が詰まっていると、プレッシャーもかんじる。私は免許取得時の適性検査では、「同乗者に自分のドライビングテクニックを自慢しがち」みたいな評価を受けた。それ以外はふつうであった。

その点信号機はある程度待ちさえすれば、強制的に流れを止めてくれるから、そういうぶぶんでは楽だ。さらに大通りだと、歩行者との区分けがはっきりしているので、そういうのも楽である。だから私は朝などは多少時間がかかっても大通りを選択することが多いが、たまに学校のそばなども通りたくなる。運が良いと運動会の予行練習で朝から生徒が校庭に整列させられているのが見られるし、もっと運が良いと習字道具を忘れた生徒に、母親が軽自動車で門まで届ける姿を見ることができる。私はそういう光景を見ると和んだ。私は今は子供に届けるほうの立場で、実際週はじめに給食着体育着一式を忘れて届けたことがあるが、私の住む自治体ではそういうときは事務室にクラス番号名前を添えて預けるように、との決まりがあるので門に呼びつけたり、教室まで届けるなんてことはできない。門に呼びつけるのは子供のほうだった。私が子供の頃は忘れ物なんてしたら地獄だから、ランドセルの小ポケットに小銭を入れて、忘れ物をしたら職員室の前から電話をしたと記憶する。中学だったかしら。しかし門のそばの物陰で、息をひそめて母が来るのを待っていた記憶がある。あれは中学の門ではなかった。母は煙草吸いで、出かけるときは必ず台所の換気扇の下で一服するから、いつも出足がのろかった。今だいたいこの辺か、とその人になったつもりで頭の中で道をたどったりしたが、それが当たることは一度もなかった。今は先生も生徒も優しいから、忘れ物をしたって、平気なのかもしれない。今の子供は私の子供の頃よりも子供だ、とか考えたが、私の親やその親もたぶん同じように考えて、未来に目を向けると人はどんどんミニチュア化していく。少子化とはそういうことなのかもしれない。

時間差でお昼を取りに来た人が事務所の電子レンジで麺だかを温めていて、それが給食のような香りがした。私は給食の匂いをかぐと、途端に心細くなった。私は就学時、父が、母が、というより家から遠く離れるとよく心細くなった。学校に行く自分というのは嘘子の自分のような気がし、夏休みや冬休みは休みというより本業という感覚だった。小学校高学年や中学になるとテレビゲームに夢中になって、すると心細いとはあまり思わなくなった。

朝霧が出ていてその中を走った。走っているときに考えごとをすると走る時間は短く済んだが、うまく考えられないこともあった。村上春樹は走りながらたまに小説のことを少しは考えると言っていた。私も仕事のことを考えるときがある。あのときあいつの発言はスルーしたが、怒るに値することだったな、と怒りのトレースをしたりする。

ところで若い人には臭い人が多い。最近更衣室が雑巾のような臭いがしていて、会社の建物は手抜きだかなんだかたまに下水の臭いだのがして、臭くともとくに驚かないが、何日かしてようやく
「臭いな」
と臭いを認識した。そのころには会社内でも「臭いな」と噂されるようになり、どうやらそれは若い社員だということがわかった。靴か靴下が臭うらしい。私がなんで若い人が臭いと決めつけるのか、若い読者は傷ついたかもしれないが、以前も会社内が臭くなることがあり、その臭いの主は若い派遣社員であった。私の中では二例目なのである。そのときは帽子が臭かったので、すぐに洗うように指示した。作業用の帽子だったので、その間はタオルでも頭に巻いておけとなって、彼は帽子よりもタオルのほうがよく似合った。ラーメン屋か、便利屋にでもなればよいと思った。誰かが臭いと、あなた臭いですよとはなかなか言いづらく、そのため自分が臭いような気がするが、私が臭いことは一度もなかった。もちろん自分の臭いとはわかりづらいが。妻に会社の臭いについて話すと、
「洗濯物が生乾きなのではないか。その人ひとり暮らし?」
と訊くので首肯すると、じゃあそうだ、とまるでその人に責任がないような口振りだった。妻はよほど若い男が好きが、臭いについて苦い記憶があるのではないかと推測する。

3Dメガネ

朝か昨晩に保坂和志「遠い触覚」を読んでいて、あと少しで読み終わるという残り少なさだが、最後に近づくほど読むのが遅くなっている。山下澄人は最初のころに感じた「おおおー」という感じがなくなっている。「壁ぬけの谷」という小説を読んでいるが、これは「ネオ百年の孤独」と名付けたいくらい「お前誰だよ?」と読んでいて頻繁に思う。小島信夫小島信夫だ。書いてあることがよくわからないのに、読み進めるのになんの苦労も伴わない。放置した小説は再開したときにどういう話だっけ? と少し前に遡ったり、頭をその小説モードに切り替えたりするが、「寓話」はない。今は森敦と電話で話している。少し前から森敦「月山」を読んでいて、そうしたら昨日ひさしぶりに「寓話」を読んだら「月山」に出てくる地名が出てきて嬉しかった。私は残りの人生を「寓話」に登場する小説だのを読んですごそうか。「寓話」は小説でない気がする。保坂和志のエッセイも同じかんじがするが、私は猫を飼ったことがないから猫の話が出てくると疎外をかんじる。あるいは頭を猫モードに切り替えなければならない。そういえば小島信夫の他の小説に保坂和志が登場したとき、保坂は
「猫が死ぬのは人間が死ぬよりずっと悲しい」
という主張を三回か四回していて、これは今思うと小島が猫に嫉妬してそんなことを言わせたんじゃないか。小島自身も「猫のことはよくわからない」と同じ小説で書いていた。だけれども保坂和志なら「人間<猫」とあえて言ってそこから思考をほじくっていく、むしろ「人間<猫」になるためにはどうするか、という思考をしていると考えられる。

ところで「遠い触覚」のなかでゴダールの映画を見に行ったことが書かれていて、そこで3Dメガネを渡されるときに100円請求されてむっとするシーンがある。そのあと延々と3Dメガネをかけたほうがいいのか否かについて書いている。3Dメガネをかけると茶色っぽいみたいな。私はずっと前にどこかで「保坂和志ゴダールの映画を3Dメガネをかけずに見た」というのを読んで、なんでも言うとおりにしてはダメなんだなあと身が引き締まった。あと猫が川に流されるシーンについて、猫はお話のなかで流されるからそのあと川から助け出されると考えられるが、その出されるシーンまで撮らないとゴダールらしくないと書いていた。犬でした。ゴダールゴダール、と書いたがゴダールだかもあやしい。私はゴダールはひとかけらも見たことがない。映画はびっくりするくらい見ない。いちばん面白かったのは「カンフーハッスル」だ。たぶん一年は映画館に行ってない。それはどうでもいい。私は少しは小説は読むが、小説の小説っぽさが最近は疲れる。頭にくる自己の定義だとか、そういうのがない小説にはあまりお目にかかれない。あっても難解なぶんしょうだとやっぱり疲れる。

あと最近「文系のための数学」みたいな本を読んでいるが、この手の本の途中に出てくる「この先は式が出てきて少し難解になります。読み飛ばしても構いません」という文句は一体なんなのか。私はそんなこと言われて本当に読み飛ばす人がいるなんて、とても信じられない。

わからないと宣言して自分の領域を確保する

振り返ってみると、自分以外の個人から「わからない」と言われることの多い半生だった。言われてむかつくこともあれば「無理もない」と納得することもあった。わからない、というものにも様々なレベルがあるが、わざわざ宣言する、主張する「わからない」とはなんだろうか。つまるところそれは動物におけるマーキング、縄張り主張ではないかというところに行き着いた。わからない、というボーダーを引いて自己の輪郭をはっきりさせようという試みである。

私の昨日の記事で書いた人たちもその類の人たちであり、その人たちは自分の定義したがりなのである。その一方で私は他人の顔色をうかがう人生を歩んでおり、そういう自分を「その場しのぎ」と評価して自分を慰めようと試みた。少し前に会社の使えない後輩に、私が毎日報告する仕事を頼んだら、報告事項を手にメモして報告してきて、私としては特に感じることもなかったが(せいぜい「レトロだな」と思うくらい)別の仕事ができるほうの後輩が
「手にメモ取る人って、まず間違いなくしごとできないですよね」
と私に耳打ちした。私は苦笑いして済ませたが、頭の中では妻のことを考えていた。妻もよく手にメモをとる女だったからである。私は妻と仕事をしたことがないが、後輩の仮説は当たっていると思う。妻は普段使う手帳の他に、もう一つミニタイプの手帳を持っていてそれは仕事用だと言う。どういう風に使い分けているのか不明だが、だいたい毎日どちらかをなくし、私や子供たちにその在処を訊ねてくる。私は特に他人の持ち物に興味を示さない性格だから、知るわけない。子供たちの性格は知らないが、似たり寄ったりだ。そういう人が仕事のできる人には思えない。メモは手帳に取れば良いし、なんならメモ帳を持ち歩いても良いのではないか。私はメモはとらない性分なので、メモ帳を持ち歩いたりはしないが。とにかく手にメモをとる人は仕事できない、について異論はないが、だからと言って私は少しもいい気はしない。やはり、この仕事ができるほうの後輩も「浅はかだ」と思わざるを得ない。とにかく私はこのような浅はかな人間が理解できない。例えば集団内で「○○でない人ダメなんです」と臆面なく表明する人は、どうしてその中に○○でない人がいるリスクを考慮しないのか。この記事は「わからないで済まさない縛り」で書いているから結論を出すが、押しつけなのだろう。あるいは同調から自分が変化することを恐れているのかもしれない。これは「自分らしさ」を強調したがための弊害なのではないか。