意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「大聖堂」を読んでいる

年末のオススメ本のブログを読んでいたら大聖堂というのがあって読んでみることにした。色々なブログやサイトでオススメの本が出ていてどれも熱っぽくその小説の魅力などについて語られているが、私が読んでもその通りになるかはケースバイケースである。よく「眠れなくなる」と書いてあるが、眠れなくなることはまずない。文字を追っていれば私の場合だいたい眠くなる。漫画だと逆に眠くならないから、私は文字から場面や情景をイメージするのにとてもエネルギーを消費しているのである。


ところが「大聖堂」は先週読んでいたら眠れなくなった。私の今の生活スタイルはベッドに入る前に床でくつろぐというものだが冬になってホットカーペットを入れたがそれでも寒いから毛布を足にかけて簡易のコタツをこしらえた。これが気持ちが良くて、この状態で本を読むと起きていられなくなる。しばらくまどろんだ後一瞬目が覚めるのでそこからベッドに移動しまた続きを読んでから寝る。ベッドで読むときは腕枕の体勢だからあまり長い時間読むことができない。だいたいは腕が痛くなる前に眠くなるが、今回はならなかった。


「大聖堂」は中世が舞台で現代との違いを私は楽しんだ。とても面白いが、刺激が強くてそれで私は眠れなくなるのだ。城の襲撃とか火事の場面とかが刺激が強かった。私は読みながら気づいたが、今まで読んだ本の経験を参照しながら、展開について予想しながら読んでいるのである。例えば大きなところでは終わりは明るいのか暗いのか、とか。この小説は誰が正義で悪かわからなくしてるから、その予想も立てている。正義側だと思っていた人間が意外と屑っぽかったりしてその外れる感じが読んでいて落ち着かないのである。

朝史

仕事場から出ると雨が降っていておどろいた。ひさしぶりに見る雨である。一瞬濡れて帰ろうかと思ったが傘を取りに戻った。私は今雨ならば歩きで、そうじゃない天気で雪以外の日は自転車で通勤していた。以前は雨降りでもカッパを着ていたが濡れた後に干したりするのが面倒だからやめた。この技はもうやめた人に教わった。なので雨の日の方が通勤時間がかかるのだが、遅刻防止のため自転車の日も早めに家を出ている。ゴミの収集の時間がいい合図になる。ゴミを出してそのまま会社に向かえば手段問わず遅刻しないで済む。最初の頃はゴミを出してから一度家に戻りそれから歯を磨いたりした。朝ご飯も食べなかった。


4年くらい前までは車で通勤していて毎日大きな橋を渡っていた。橋が終わって土手を下ったところに保育園があっていかにも自然にふれ合えるのが売りですみたいな感じで長い廊下が庭に面していて庭は泥がむき出しだった。もっと前は家を出る前に自分の子供を家から送り出したりしていた。その前は電車通勤だった。駅まで送ってもらわねばならずEテレのシャキーンを見ながら慌ただしく支度をしていた。転職してシャキーンがゆっくり見られるようになって良かったと思った。それが人生だと思ったが異動となってまた通勤時間が伸びた。シャキーンも知らないうちに終わってしまった。今は単身赴任で朝はゆっくりだがテレビはない。

裸の王様

いわゆる仕事のできる人ほど裸の王様化しやすいのではないかと最近考えている。上司が素知らぬ顔で前言をひっくり返しても周りは愛想笑いを浮かべながら「こりゃうっかりしてました」とか「目的を曲解してました」と競うようにへりくだる図は地獄である。サラリーマンは正義とプライドを売ってお金を得るのである。昔のドラマに「正しいことをしたけりゃ偉くなれ」という文言があるが偉くなれば正しいことができるのかもしれないが、するかどうかはその人次第なのである。また、その正義に周りがシラケてしまうケースもある。


その上司は正論マンで直属の部下でないのがせめてもの救いだが一緒にやっている人がいつも引きつり笑いを浮かべていて気の毒だ。その人は元ミュージシャンで作曲家で有名なプロの人とも知り合いだと聞いたことがある。人柄も良く顔もいいため女性にも人気があるが、いつもその上司に公開処刑される。「どう思う?」と一見自由回答欄のような地雷を用意しながら不用意に飛び込んだ人を餌食にするのである。そういえば私の前の上司もそれに近いタイプだったが不思議と悪い記憶は少ない。自前のキャンピングカーに乗せてくれたからだろうか。インドアの私はそのとき乗らなかったら多分一生キャンピングカーの内部を知らないことになり、運転席の上のふくらみが寝床だということを知らなかっただろう。その人は会社を辞める直前にキャンピングカーを購入しその前はドイツの大衆車に乗っていた。その車にもよく乗せてもらったが独特のにおいがした。グーグルマップがつながることなどを覚えている。


自由回答欄の正論マンももっと近くで仕事をすれば印象が変わるのかもしれないが、今はマウントばかりとってくるので苦手だ。

年々寒くなる

毎日自転車で通勤しているが12月はまだ行き帰りは軽く汗をかき半袖になるときもあった。年が明けた今は家を出るときにはコートの前もしっかり閉めて少しでも外気を遮断しようとする。数年前に買ったイヤーマフも出そうかと思う。去年もこんなに寒かったっけ? と思う。夏の暑さは堪えられても冬はきつい。多汗症という人に声をかけたら
「夏は素肌以上は脱げないですからね、冬は着込めばいいんだし」
と至極まっとうなことを言われた。理屈で言えばその通りだが寒がりはそうはいかないのである。


そのくせ何故か私は猫舌で、熱いお茶を勢いよく飲むと口の内側がでろんとなってしまう。


今年はユーチューブで雪山での遭難の動画ばかり見ている。もっと寒いことをイメージすれば気も紛れるだろうという作戦である。昨日見たやつでは寒さのあまり川に飛び込むというのがあったが確かに凍っていない分川の水の方が温かいというのは一見理屈が通っている。さっきから私は理屈、理屈と行っているがこれも寒さのせいかもしれない。常夏や熱帯雨林の人が理屈がどうこう言うのを聞いたことがない。それはやはりヨーロッパの緯度で言えば盛岡や札幌と同じところに住む人が眉間にしわを寄せながらこねるものなのである。

今年は写真を撮る

少し前まで写真はまったく撮らない主義だったけれどだんだんと心境が変わってきた。残しておけばいろいろ思い出せることに気づいたからである。そう思い風景などを何枚か写真におさめたが大変つまらないものばかりだった。テクニックも何もなくただ携帯をかざすだけだからである。光の当たり方で合成写真に見えた建物と背景を撮影したらまったく自然な写真になってしまった。またピントが合っていないものもある。そういえば私の父が写真を撮るのが好きだったから私は写真に興味が持てなかったのである。私が中学か高校の頃教材の営業が来たことがあったがそのとき応接室兼父の部屋にあったカメラを見て
「100万円以上はかかってますよ」
と言っていたのをおぼえている。私も母もこの営業が何を言いたいのかわからなかった。そういえば父がカメラを構えるところをほとんど見なくなった。正月に行ったら餅がつきたいと言う。カメラよりも餅に興味が出たのかもしれない。父も素人考えで餅を言い出したのではなく農家のせがれだから昔を思い出したのだ。私が小さい頃は大晦日の一日前に餅つきがあって、しかしそれはウスと杵のやつではなく発動機で動くやつだ。私にとって餅つきとは機械なのである。趣がないのかもしれないがその後炊飯器タイプが出てきてこれを見たときはさすがにもうサトウの切り餅でいいのではと思った。しかしその頃には私にも子供がいて下の子が生まれたばかりで上の子もまだ分別がない年頃だからもうよぼよぼで重い物は持てない祖母にいきなり赤ん坊をラグビーボールみたいにパスして祖母が中腰で踏ん張りながら悲鳴をあげるという愉快な光景を見れたからサトウの切り餅でなくてやはり良かった。祖母はひ孫ができてそれまでやめていた餅つきを久しぶりに行ったのだ。それからほどなくして祖母は死んで子供たちに餅つきの記憶など何も残らなかったが私はそのときの祖母の中腰具合について何度も話す。覚えているのは私だけだし愉快なのも私だけなのに何度もその話をする。そういえば私が赤ん坊のころ、ハイハイで二階のベランダの手すりの隙間から屋根に落ちてしまい、父が魚をすくう網で私を引き上げたという話を私は何度も聞かされた。その事件以来手すりの隙間から出られないように小学校のウサギ小屋みたいな金網が張られたのだ。当然私はそんことなどまったく覚えていない。

藤井風いいね

たまたまつけた紅白歌合戦に出ていた藤井風のパフォーマンスを見て何年か前の美輪明宏ヨイトマケの歌を思い出した。藤井風という名前は聞いたことがあったのだがてっきり米津玄師と同じ系統だと思っていたから衝撃を受けた。今の音楽はさわやかなものを除くとやたらと説教臭い歌ばかりで少し前までよくあったアーティスト気取りの脈絡のない単語をつなぎ合わせる歌詞の方がまだいいなと思っていたが、藤井風はそういうのを気にしない(振りをする)完全に自分の才能でごり押しするタイプなのかもしれないと思い胸が高鳴った。他の歌も聞きたいと思っていたらたまたま妻の車でかかっていてそれがさわやかど真ん中みたいな曲で再び衝撃を受けた。前述の通り私は藤井風に美輪明宏を連想したのだから、これは美輪明宏SMAPを歌っているのを聞くのと同じだった。藤井風の歌声はサチモスに似てるなと思った。昔の同僚でサチモスばかり聞いている人がいて私はサチモスがまったく好きではないがよく聞いていた。

お寿司屋

家族でお寿司屋さんに食べに行ったら隣の席に祖父母と孫みたいな組み合わせのグループがいて祖母の女がやたらと孫にやれ食べ方がどうとが注意していて聞いていてこっちの気持ちが萎えてしまった。しかし数時間前のことなのに具体的にどんな小言があったのか思い出そうとしてもすでに忘れてしまっていた。祖父の方はまったくの沈黙でこの夫婦の普段の関係はそれだけで推察することができた。


そのあと私にも孫ができたらみたいな話になって暗い気持ちになった。少し前まで回転寿司と呼ばれていた店舗は今や回転ではなく一方通行になり、原理としては昔と同じになっている(オーダーに合わせて直接とどける)ところが今日はその一方通行が不調でお寿司を運ぶレーンが行ったり来たりしてBGMにマンボの歌が流れそうな感じだった。ラーメンでも唐揚げでもなんでもござれで、ファーストフードモンスターみたいな感じになっている。