意味をあたえる

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リリー・フランキー

先月が先々月くらいに友達と飲み、その居酒屋は中庭のある席で、そこには石灯籠などがあり、その向こうには入ってきたときに通った渡り廊下が見える。こう描写するとまるで高級料亭のようだが、お酒やつまみの値段は極めてリーズナブルである。オーダーはテーブルに置かれたカラオケの曲検索の端末みたいなので行う。人件費を極力おさえるためで、そのためオーダーした品物はなかなかこない。しかし、私たちは深夜11時頃にそこを訪れ、すでに食べ物も酒もそれなりに胃におさまっていたので、あまり気にならなかった。そのときの会話で
「なんでテレビあんまし見ないのに、人を笑わせたりすんのが好きなの?」
ときかれた。そのときは酔っ払っていたから適当な返事をして済ませたが、後から考えると質問した友人は、だいぶメディアというか社会の○○に毒されている。テレビのバラエティは確かに笑えるけれど、それが笑いというものの全てではもちろんないし、テレビのバラエティは、「はい、ここで笑ってくださいね」みたいな向こうが全部お膳立てしてくれるような親切な笑いだ。だから物足りないときも往々としてよくあるし、なんだか相手にうまいこと乗せられているような、こっちが馬鹿みたいな気持ちになることもある。
私は漫画を読んでいても笑うし、小説を読んでいたって、面白いところがあれば「なんじゃそりゃ」と突っ込みをいれながら声を出して笑う。シリアスなシーンで笑えるのは、なんだか自分だけがその笑いを理解できたみたいな気がして、ちょっとした優越感にも浸れる。
昨日も「凶悪」という映画を見ながら、ヤクザの会話の馬鹿馬鹿しさに笑った。逆に笑えなかったが、リリー・フランキーがおじいさんにスタンガンを押し当てまくって、おじいさんがその度に痙攣してその動きが滑稽なので、目を見開いて(リリー・フランキーは普段は細い目をしているので)本当に愉快そうに笑っていた。私がそれを見て、愉快な気持ちになるどころか、胸糞わるい気がするのは、制作者が、胸糞わるくなるように撮っているからだ。現実にそんなシーンに遭遇すれば、ものすごく笑えるのかもしれない。(つまり映画というものは、リアルに作られてはいない)
ところでリリー・フランキーであるが、もう一方ではとても良い父親を演じていると聞いた。それは「そして父になる」である。リリー・フランキーは良い父親である、と最初に聞いた時、私は主演の西島秀○(最後の1文字を失念した)のお父さんなのかと勘違いした。2人の年齢を考えればそんなことはあり得ないのたが、リリー・フランキーはああいう外見なのでおじいさん役であってもいけそうだが、実際はもうひとつの家庭のお父さんだ。私は予告編か何かを見たので、この映画のだいたいのストーリーを知っている。だから見たくないというのもある。
「凶悪」のストーリーをおさらいすると、まずピエール瀧(と思われる人)がヤクザでケンちゃんの背中にマジックで刺青のようなイラストを入れ、そのあと橋から落として、風俗嬢を強姦して火をつけ、挙句に舎弟を撃ち殺して捕まる。そして刑務所の中から雑誌記者である山田孝○を呼び出して、3つの殺人事件について告白する。なぜ告白したのかと言えば、その事件の首謀者は実はリリー・フランキーであり、リリー・フランキーは「先生」と呼ばれている。3つの殺人事件はピエール瀧の作り話である可能性もあったが、取材を通して、やがてピエール瀧の女も出て来て、本当っぽくなる。山田孝○の無精髭がだんだん濃くなる。私はこの辺りからストーリーを追うのがしんどくなり、なぜかと言えば3つも殺人事件があるので、山田孝○が訪れる「森田土建」「牛田電気」がどの事件との関係なのかよくわからないからだ。しかしこの映画はエンターテイメントなので、山田孝○はある空き家で突然タイムスリップをして、事件をすべて時系列で並べてくれ、ピエール瀧が舎弟を撃ち殺すところまで繋げてくれた。
3つの殺人事件とは、1人はリリー・フランキーがなんとなく首を絞めて殺し、2人目は老人ホームからスタッフの手を借りておじいさんを呼び出して生き埋めにし、3人目は前述のスタンガンだ。森田土建は死体を燃やす焼却炉を提供した。

つまりこの映画のテーマは「高齢者問題」なのです!

その証拠に山田孝○の母親は痴呆であり、妻の池脇が苦戦するシーンが随所に挟まれる。
※現在私は山田孝○が公務執行妨害で捕まったところまでしか見ていないので、この後どうなるかはわからない。結局見ないで済ますのかもしれない。