続きを書こうと思い、書かなくてもいいと思う気持ちもあるが、これから書くのはだいぶ古い記憶のことで、ここに書かなければもう一生書くことはないのかもしれないので、書くが、それは私が中3のときの阪神淡路大震災のときの出来事である。私は埼玉県に住んでいるから直接的な被害はなかったが、私はそのとき受験生で、これから高校受験というときで、その試験には面接もあって、予想質問みたいなのがあって、その中に
「今1番のニュースは?」
というものがあったが、実際の面接でも聞かれたから、私は答えなければならなかった。地震が起きる前は、なんか色々と考えてはいたが、地震が起きた後は、地震だと答えなければ、だってそれが1番のニュースであるから、他のことを言って、それはニュースと呼べるの? と面接官に突っ込まれるリスクはだいぶ減ったから、得をしたのかもしれないが、そう答えなければいけないような雰囲気もあった。面接はグループ面接で3人同時に受け、私は結局その高校に受かって、そこへ通うのだが、そのときの面接メンバーが同級生になったとか、あるいはそのときの面接官は生物のなんとか先生だ、というのは全く覚えていないが、覚えている人もいた。
ところで生物の先生は、ちっこくて、おっさんみたいな顔をした白髪混じりのおっさんの教師だったが、ちっこいから可愛らしいところもあった。初めての授業のときに、自己紹介ということで、「高校に入って思ったこと」がテーマとして出され、私は
「高校の先生は怖そうに見えます」
と言ったら、そんなことを言うのは私だけで、その他の人は、無難なことばかり言ってずるい。そうしたら、先生は、
「実際こわいよ」
と嬉しそうに言った。だが、少なくともその人は怖くなさそうだから、ひとまず私は安心をした。
それから、私は秋頃になって生物の試験を受けたら102点を取ったことがあり、問題数の関係で100点におさまらなかったらしいが、実は103点満点だったので、私は悔しいというか、それでもクラスで1位だったらまだ悔しさもまぎれるが、103点満点がそのあとにいたから、やっぱり悔しかった。彼は、テスト直前まで式の解き方がわからなくて、私は余裕だったから教えてあげたら満点を取りやがった。私は割とどうでもいいところで間違え、どうでもいいところで取りこぼすのが私のお茶目なところだが、返されるときに教師には
「もったいねー」
と言って笑われた。
しかしながら、私がもうこの先書くことはない記憶というのは、別に生物の先生とのエピソードのこのとではなく、たまたま「生物」と書いたら出てきてしまった話だ。だからこれから書くが、それは高校が決まった春休みのときの出来事で、私は母方のおばあちゃんちに来ていて、おばあちゃんちは東京にあって、最初は池袋などに遊びに行く程度だったが、私はもう中学生で、さらにもうすぐ高校生だからもうひとりで遊びに行ったりして、その日は秋葉原に行って、ゲームソフトだかエロ漫画だか、エロゲームソフトだかを買いに行った。エロゲームソフトは私はやったことはなかった。そうして買い物をした帰り道に、駅で電車の切符を買おうとしたら、結構混んでいて、並んでいたら、集団がやってきて、ひとりの中年の女が、それは阪神淡路大震災の被災者に対する募金を求める集団で、募金が思いのほか集まらなかったのか、彼らはみんなイライラしていて、私のところにきた中年女もなんかよくわからないくしゃくしゃになったチラシを見せてきて、こんなに困っているんだから寄付しなさい、今すぐ、とほとんど怒られるような調子で言われ、普通だったら無視をするとか、「いいです」と言ったりするのだが、普通じゃなかったから、仕方なく寄付でもするかと思い財布を取り出すと、最低でも1000円は寄付をしろみたいに言われ、私は今さっきエロ漫画を買ったばかりだったし、だいいち私は中学生だから、そんな余分な金は持っていない。だから仕方なく500円だけ寄付すると、中年女は、舌打ちとか、不愉快そうな態度を露骨に見せて、チラシを渡してきて、よく読んで勉強しろと言って去って行った。もちろん集団はまだまだいたから、私は切符の番が早く来て欲しいと思った。
私は悔しいとかむかつくとか思ったが、しかしどちらかと言えば、そういう風に思う自分を恥ずかしいとか間違っていると思うようにしようと心がけた。そして、そういうこの悔しいとかむかつくとかいう気持ちが消えないうちは、一切の寄付とか施しはしないようにしようと思った。
という出来事があって、それから15年とか経って今度は東日本大震災が起き、そのとき私はTwitterを熱心にやっていたら、今度はタイムラインで「私はこれだけ寄付をしました」「寄付をしましょう」とか、それにくわえて今度は「どこどこに寄付をするのはいいけれど、あそこに寄付するとほとんどが職員の贅沢につかわれてしまっている」「CMにお金をかけすぎで被災者にはちっとも行き届かない」みたいなのも出てきて、私の考える寄付とかそういうのとは、かけ離れすぎてしまい、私は寄付をしなきゃ、しなきゃ、というプレッシャーを感じながらも、しかしプレッシャーを受けて行うのは、やはり15年前と同じではないかと思い、結局はしなかった。