「早く起きるだろうな」
と思ったからである。私は睡眠時間に関係なく、起きるのは得意な方で、逆に徹夜とかは苦手で、昔は夜遊びした後も30分寝てからバイトに行く、というのもしたことがある。
話が繋がらないが、高校3年のときに進路のアンケートみたいなのがあって、そこの特技の欄に書くことがないから「早起き」と書いたことがある。しかしそれは最終的にそうなった話で、いちばん最初は「特になし」じゃ芸がないな、と思って「ドラム」と書いた。当時はすでにバンドを組んでいたからである。しかし、やっぱり恥ずかしくなってしまい、「特技ドラムです」なんてアメリカ人じゃないんだから、と自分に突っ込みながら消しゴムでゴシゴシやった。アンケート用紙は藁半紙だった。
そうしたらクラスのヤンキーグループの1人が
「飯村、お前なに書いたの? ちょっと見してみ?」
と言われたので、私は他の部分はもう書き終わったので黙って渡した。渡す瞬間に嫌な予感がし、それは当たり、
「ドラムってなんだよ」
と笑われた。ちゃんと消えてなかったのである。超恥ずかしかったが、
「ドラムなんかじゃ教師ウケ悪いと思って」
とか言って平然を装った。これならまだ消さずに残した方が、「書くことなかったから」とか言って仕方なく感を出せるのに、消しかけたことで、私の自意識まで見透かされてしまい、私の分はかなり悪かった。だから私は動揺して、実は上記のようなそれっぽい返しができたわけではないが、平然を装ったらそれ以上何も言われなかった。
こういうのをいじめられっ子根性というのだろうか? 根性とは少し違うか?いじめっ子が相手の弱点とか、触れればすぐに感情がむき出しになってしまう部位を見つけ出すことに長けていることに対し、いじめられっ子は、それを他の部位となんら変わらないようにカモフラージュすることに慣れている。集団内では、大人も子供も、日々このやり取りがなされているのである。
しかしカモフラージュができるのなら、いじめられないから、いじめられっ子の長所とは違うのでは? と思うかもしれないが、この能力はいじめられる、疎外されることによって身につくのである。逆にいじめっ子根性は、誰でも持っている。
私がいじめられていたのは小学生のころで、だから早い段階で人々の笑いものになることや、孤立することには慣れていた。もちろん、平気になったというわけではなく、ダメージをなんとか最小限におさえて元の状態に速やかに復帰する能力が、あるいはそうしようとする意思やプロセスが身についたのである。
そのおかげで、高校時代から私は自分で真剣に書いた小説や詩や漫画を、友達に普通に見せていた。もちろん相手は選んだし、読んでもらうことは当然恥ずかしかったが、今思えば、私の場合は笑い者になる覚悟があったから、そういうことができたのだ。勇気と言えば一言で済んでしまうが、そのバックグラウンドは、きっと人それぞれなんだろう。
それから大人になって、オフ会に出たときに、そこにいるのは全員初対面なのだが、1人の人に、
「飯村みたいにここまで自分を貶めて笑いをとってくる人初めて見た」
と言われ、そのときに初めていじめられた経験があったからなんだと納得した。