と、思うのは私なのか、それとも私を被子植物だとして、その種の周りの外皮の部分なのか。じじつ、目をつぶってみると眠気など微塵もなく、たしか朝はもっと寝ていたいと思っていたのに、まぶたの接合部が完全に乾いてしまったみたいに、合わせてみても、お互いがよそよそしい。皮膚が分厚くなって、まるでそれぞれが1人で生きていく決心をしてしまったみたいに、だからそういう人に
「一緒にいようよ」
とか半泣きで懇願しても無駄なように、まぶたの本来の持ち主である私(あるいは外皮)は目をつぶることによって気分の悪さすら覚える。こんなに覚醒しているのはいつ以来か?
今朝、渋滞をしていて、そのとき私はiPhoneのプレイリスト、「全曲シャッフル」を文字通りシャッフルして聞いていたのだが、じっさいはそんな名称ではないのだが、そうしたらチャットモンチーの「コンビニエンス・ハネムーン」が流れていて、最初はギターかドラムか忘れたけどイントロがあってそのときはまだまだチャットモンチーのあれっぽいな、と思っていたが確信するまで行かず、もしかしたら洋楽かもな、洋楽はいやだな、とか思っていたらドラムが入って、やはりチャットモンチーだった。
チャットモンチーの曲を聞くと、この人たちは「自分たちは特別です」と思いながら曲を作り、演奏しているのではないか、とふと思った。
そして出勤中だったので、そのときはまだ渋滞ではなかったので、風景が後ろに流れていくが、その感じと歌がとてもマッチしていて、そういうことはたまにあり、私は気分が良くなった。駐車場内で大型トラックが切り返しを終え、徐々に加速しながら、通りを走る私の車に近づいてくる。そのとき車の発する音は全て無音であり、無音ということは、この風景は曲に対して従である。だから私は、無音ということは、車のフロントガラスとか、その他のガラスがテレビの画面みたくなってしまったのかもしれないと考えた。感じたのではなく、考えた。