意味をあたえる

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二年生への切符

今日で子供たちの学校が終わり、家に帰って通知表を見せてもらった。すると、ネモちゃんの通知表には、「二年生の切符」が挟まれていて、注意事項として、
「ひとり、一回限り有効」
なんて書いてあって、寂しい気持ちにさせる。それよりも、私は、この「二年生の切符」が、喉から手が出るほど欲しかったことを思い出した。

私が小学校一年のときの担任の話は、このブログでも以前に触れたし、小説「西門」にも書いた。怒らせると、生徒の椅子や、ひどいときには机の引き出しを没収する女の教師だ。これはほんとうの話だ。引き出しを取られた生徒は3人いて、もちろん引き出しだけではなく、中身もまるごと取られたから、工作のときなどは、隣の人にハサミを借りなければならなかった。

それから、今書きながら思い出したが、私の時代は、給食は残さず食べなければいけない世代で、食べないとお皿を下げられなかったので、私たちは一生懸命食べた。食べないと昼休みがつぶれた。ひとりのとてもだらしない生徒がいて、その人はいつも給食を残していて、昼休みも丸つぶれになった。しかし先生に頭を下げて片付けるなんてこともしないで、おかげでその子の机は食べ残しの大皿や平皿がどんどんたまって、ノートや教科書も広げられないくらいになってしまった。だからその子は、引き出しを開けっぱなしにして、そこにノートと教科書を広げて勉強した。大変不潔であった。

私たちはこれはどうなってしまうんだろう、と心配しながら見守った。机のスペースはあと少しでいっぱいになるし、そうなったら、今度は床にでも置くのか。床に置いたら、掃除のときはさぞ不便であろう。今だって、汁などこぼれるから、机を運ぶのが大変なのだ。そいつの席はいちばん後ろだったから、運ばなかったのだろうか。だとしたら、ホコリだって溜まっただろう。よくハエが大量発生しなかったものだ。冬だったのだろうか。私たちは、どうしていいのかわからなかった。まだ一年生だったから。でも、一年生だったせいか、イジメに発展することもなかった。やがて、先生からその子に手紙が送られ、しばらくして片付けは行われた。手紙というのが謎だが、私も文面を見た気がする。
「どうしてこんなことになっちゃったのかな?」
なんて書かれていた気がする。机の上がすっきりして、その子もさぞ、気分が良かっただろう。私は小学一年生の親になってようやく、本来の一年生はもっとちっちゃくて、頼りない存在なんだということに気づいた。

それで、三学期も末になって、私は
「このままじゃ二年生になれない」
と先生に言われた。提出しなければいけない算数のプリントが、揃っていないためである。私はそのころは、だらしのない生徒だったから、配られたプリントを引き出しの奥でくしゃくしゃにしてしまったり、無くしたりしたのだ。

教師は、
「通知表には、校長先生の名前のところに判子を押すが、この判子を押してない人は、二年生になれない。また、判子は校長先生の名前の、最後の一文字のところに引っかけて押すことになっている。もしかかってなかったり、二文字にかかっていたら、それは偽物である」
と言い、私は震え上がった。今から思えば、ただのはったりである。しかし、一年生にはそんな知恵はないし、また、当時はまだまだ教師のほうが偉いという風潮だったので、私は母と一緒に、春休みの学校へ行った。どうしても二年生になりたいのなら、春休みに学校に来るように言われたのである。

私は母に協力してもらい、一体何のプリントが足りないのか、リストアップした。算数のプリントはナンバーが振られていて、たしか、No.25はなかった。28はくしゃくしゃだったが、なんとかあった。そんな風にして臨んだので、行ってみると、意外と早く事は済んだ。なくしてしまった物については新しいものをもらい、その場で書いて提出をした。そのときは親もいたから、先生もすんなり新しいプリントをくれた。

私と同じような人は何人かいて、リストアップするところから始める人もいた。そういう人は時間がかかった。

全体的には休日出勤のような、ゆるい空気の中での補習だった。私はプリントを提出し終わると、友達と廊下で遊びだした。私は一年生のいちばん端の教室で、廊下に出るとすぐに給食の搬入口があり、コンテナを運ぶためのスロープと手すりがあったので、そこでぶら下がったりして遊んだ。親同士も談笑した。

私は小学校とはなんと大変なところだろうと思い、来年三年生に上がるときも、こんな苦労があるのかと、憂鬱になったが、とりあえず目の前のスロープと手すりに集中することにした。二年生になれば、私のだらしなさも、少しは良くなるかもしれないと期待した。二年生になると担任も変わっておばあちゃんみたいな人になり、その人は給食でご飯が余ると、おにぎりを握ってくれたりした。みんなおにぎりは大好きだった。それ以降、進級に苦しむことは一度もなかった。

上級生になると、給食も平気で残した。あるときレバーの唐揚げが出たときは、クラス全員が
「まずい、まずい」
と言って残し、食缶の中身が全く減らないという事態になったが、ひとりだけ
「うまい、うまい」
と言って食べ、おかわりまでしていたので、私は物好きもいるもんだと感心した。