意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

江ノ島

江ノ島へやってきた。楽しかった。

おわり。

寒い。

おわり。

寒い理由は風が強いからです。海の近くに住んでいる人は、いつでもこんな風にさらされて生きているのだろうか。

車から降りて海岸へ行くと、「立ち入り危険」という看板が立っていて、しかし、その中で昼寝している人もいる。自己責任というやつだろうか。高さ10メートルくらいの崖が内側にえぐるように切り立っていて、私は海よりもそれを見る方が楽しかった。むき出しの地球である。それを視界におさめようとすると、目の筋肉がとらえきれずに、ぐぐっとなる。てっぺんに松の木がびよーんと伸びていて、松の真下は空白である。さらに上をとんびが旋回していて、とんびは上下左右が空白である。私たちは影を追う。影が這い回る岩場はでこぼことしていて、くぼみには海水が残っている。私たちが来る前、そこは海底だった。私たちは、毎日天気予報とかで日本地図を眺めているが、実は日本の陸地があのような形になる瞬間というのは、厳密にはないのかもしれない。例えば、水金地火木土っ天海冥が、実際は理科のカラーページのように一列に並ばないのと同じように。

私が学生のころ冥王星はまだ太陽系の惑星の一部で、ただし順番については「冥海」だったり、「海冥」だったりした。パオパオチャンネルという午後6時台の番組では水金地火木の歌があって、それは「冥海」と言っていたが、私は「海冥」のほうが、お馴染みだった。逆だったかもしれない。あと、太陽系の惑星が悪に侵略されて、遠い星から順番に解放していくアニメがあった。それは、冥王星が最初だった気がする。「ラーメンバー」とかのアニメだったような。主人公が三人いて、それぞれのスローガンが「努力」と「友情」と「勇気(?)」で、年中揉めるのだが、たまに仲良くなって力を発揮するのだ。勇気の部分は愛だったかもしれない。とにかく、そういう時代だった。私はまだ学生だったので、どうして「海冥」だったり「冥海」だったりするのか理由がわからなくて母に聞いたら
「シゲちゃんに聞いたら?」
と言われた。シゲちゃんとは、母の弟で、元教員である。しかし、シゲちゃんは社会科担当であった。あるときシゲちゃんが東京からやってきて、お昼ご飯にカレーを食べたあとに質問をしてみると、シゲちゃんはお茶っ葉の缶を海王星、醤油差しを冥王星に見立てて理由を説明してくれた。醤油差しがテーブルの上にあったのは、父がカレーに醤油をかけて食べるからである。父からしたらシゲちゃんは、他人である。

海岸をあとにして、私たちはその辺をぶらぶら歩いた。観光客があまりいない道だった。NTTの施設のような建物の横を過ぎ、私は街路樹の写真を何枚か撮った。あとで図鑑で調べようと思ったからである。すると私の背後から男の老人が通り過ぎ、老人は肩からトランペットを下げていた。トランペットはソフトケースに入れられている。私はトランペットのソフトケースなんて診たことがないから、本当はそれはトランペットでなかったのかもしれない。しかし下の方が膨らんでいるから、トランペットっぽい。

それからお昼を食べて売店が並ぶ坂道を登り、その途中のお店に手作りのカエルの椅子が売っていて、私はそれがとても気に入って買いたかったが、3000円したのであきらめた。私は1000円しか持つていなかったから。