意味をあたえる

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ゲームボーイ

休みだったので、オープンしたばかりのショッピングモールへ行った。家からほぼ一直線のところにあり、以前友達がその近くに住んでいたので、私はそこへ行くのは初めてだったが、すんなり行けるだろうと予想した。途中にオレンジ色の建物が見え、
「あれかな?」
と私が訊くと、
「だったかも」
と妻。妻はすでに一度訪れている。しかし、近づいてみるとそれは随分古い建物で、壁には
「東京ドーナツ」
と大きく書かれていた。「東京」の上の横棒のあたりが、雨風にさらされて、黒く滲んでいる。全体が黒い文字である。ドーナツの工場のようだった。私は
「違うみたい」
と言った。
「汚いドーナツ」
と妻。新しくオープンしたショッピングモールは、まだだいぶ先だった。

私たちは立体駐車場の二階に車を停め、まずは一階から見ようとエレベーターで一階に降りると、店舗への連絡通路は三階と四階にしかなく、再び三階まで上がらなければならなかったので、私は恥ずかしいから、この際エレベーターは放棄して、まるで運動不足解消のため、わざと一階に降りた風を装って階段を上がろうかと思ったが、妻はともかく、私はたまには走ったりしているので、運動不足ではない。階段は見つからなかった。まだオープンして日が浅いので、私たちと同じように間違えて一階に降りてしまった夫婦や老夫婦も何組かいて、やんちゃそうなカップルが、エレベーターの昇るボタンをファミコンみたいに連打した。妻の方はベビーカーを押している。そういえば昨日はゲームボーイの発売日だったらしい。私は、トラックの荷台でゲームボーイに興じる外国の少年たちのCMをよくおぼえている。私は常日頃から、ファミコンゲームウォッチが合体したのが出ればいいのに、と思っていたので、ようやく時代が俺に追いついたか、と思い、喉から手が出るほど欲しかったが、ようやくチャンスが訪れたのは翌年のお正月だった。しかし、当時ゲームボーイはものすごい人気で、どこへ行っても売り切れ売り切れで、私はおばあちゃんちが豊島区にあったので、池袋のビックカメラとか、さくらやに行ったがやはり売っておらず、地元に帰ってデパートの丸広とか行けば、もしかしたらレジの横に平積みされていたかも、と期待して手ぶらで帰ろうとしたが、そうしたら、叔父が隣に住んでいた三階建ての家からやってきて、
秋葉原にいこう」
と言ってきたので、我々は秋葉原に向かった。しかし、秋葉原電器屋も売り切ればかりで、途中で売っているお店もあったが、それは売れ残ったファミコンソフトとの抱き合わせで売ってたから売っていたのであり、卑怯なので素通りして、叔父が知っている限りの店を回ったがやはり売っていないので、これは叔父の性格だが、叔父はこういうとき割とムキになるので、抱き合わせでも買うことになり、本体代以外は叔父が払ってくれた。私は「かたじけない」と思った。私は、一瞬叔父が店主にケンカをふっかけて、無理やりゲームボーイだけを引き剥がして買うのかと思ったが、叔父は意外と素直だった。私たちが店の言い値で買うと宣言すると、店主は急に親切になり、
「この中から、ソフトを二本選らんてください」
と銀のワゴンをがらがらと転がしてやってきた。私はどれも欲しくなかったから叔父に選んでもらいたかったが、叔父は自分の役目は終わったとばかりに、ソフトにはなんの興味も示さず、結局私が選んだ。そのとき狭い店内はお正月とあって大変混んでいて、私が売れ残りを選ぶ間、周りの子供たちの視線が集まってきたので私はとても恥ずかしかった。

それからおばあちゃんちに帰り、その日はもう家に帰る日で、父は、父からしたら義実家だったので、私が戻るともう黒いジャンバーを着て、車のキーを人差し指でひゅんひゅん回し、「私待ち」という雰囲気を醸し出していた。しかし、なんとか苦労して手に入れたゲームボーイだったので、祖父母はそれに興じる孫の姿を見たいと思い、私は急いで箱を引っ剥がし、ゲームのスイッチを入れるとニンテンドーのロゴが上からもったいぶって降りてきて
「チャリーン」
と言った。私は母の実家の仏壇の前で、つかの間のテトリスに興じた。テトリスはクリスマスにサンタさんにもらった物だった。

そのとき父は私の方に目もくれなかったが、その後自分でゴルフのカセットを買ってきて、私の寝た後深夜一時までやるようになって寝不足になった。