意味をあたえる

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はなかっぱ

Eテレで朝に「はなかっぱ」というアニメがやっていて、私の子供はそれのちょうど一話と二話の間に家を出て行く。遅いとエンディングまで見てから家を出るが、そうすると遅れそうだから、
「早く行かないと、」
と私が注意すると、
「わたしはいつも一番乗りなんだよ」
と言い返される。一番乗り、とは学校ではなく班の集合場所で、そこはうちから坂を登って電柱を何本か過ぎ、栗の木とか桜の木とか落ち葉やガードレールを過ぎた十字路だ。十字路にはゴミ捨て場と地区の掲示板とお墓がある。おまけに花壇もある。掲示板には
「ぼんやり運転はやめよう」
というポスターが貼ってある。電柱だったかもしれない。以前は
「携帯電話運転はやめよう」
だった。携帯電話運転が撲滅したから、「ぼんやり運転」なんて、抽象的なことを注意しだしたのだろうか。携帯電話は、犯罪だからやめる対象であり、そのうちぼんやりするのも犯罪になるのかもしれない。

その十字路に、うちの子は一番乗りにやってくる。私は子供が一年生の時は集合場所までくっついていっていたが、そのときは、一番か二番か、あるいはペケのときもあった。班は全部で四人いた。それは仮の班でもう少し行くと本体と合流する。本体は男の子もいて、大人もいた。あんまりおそすぎて、置いて行かれたこともあった。私たちが家を出ると班長のお母さんが、自転車でやってきて、
「あー、遅かったから、今、行っちゃったのよ。今から行けば、まだ間に合うかも」
と息を切らせながら言った。お母さんは太っていた。自転車は坂を下り、猛スピードが出ていた。お母さんが自転車の気持ちを代弁するように、大きく息を切らせていた。私は頭を下げながら、
「送ります」
と、言った。それはもう、一年くらい前の話である。

班で一番遅いのは西川さんで、西川さんちは十字路のいちばんそばなのに、いちばん遅い。「近いものほど遅れるの法則」である。「近いもの」の「もの」は「者」でも「物」でもよい。西川さんはなぜがいつも声が枯れていて、舌っ足らずな感じで
「おはよっございまーす」
と挨拶してくる。私は「おはよう」と返しながら、いつも今日も朝帰りですか? と皮肉っぽいことを思ってしまう。お父さんはエクステリアの仕事をしていて眉毛を細く整え、車はクラウンに乗っている。しかし仕事ではワゴンRで行くのでエンジンがかかっているのはワゴンRのほうだ。西川さんのお父さんも西川さんが一年のときには、十字路まで毎朝くっついて行っていたらしいが、ちょっと信じられない。それは、西川さんのお父さんが怖そうだから、という理由と十字路にこんなに近いのに、という両方の理由である。私も知らない子供から見たら、怖いのだろうか。しかし、私の家は十字路からだいぶ離れている。だから「はなかっぱ」が見られない。

今朝の「はなかっぱ」は、子供たちに「赤ずきんちゃん」の読み聞かせを行うという内容だったが、はなかっぱが、赤ずきんちゃんの本を家に忘れてきてしまい、話は有名だから、記憶を頼りに話は行うとして、問題は絵だ。そこで、仲間たちが急拵えで場面場面の絵を描き、それをはなかっぱに渡すということになった。その絵とストーリーの乖離を楽しむという内容だった。おばあさんが悪になり、狼がヒーローになった。最後、芸術肌の兎の女の子が地球を爆発させた。子供たちに動揺が走る。そこに照れ照れ坊主という、しょっちゅう照れてばかりの気持ち悪い男が、
「わかんないんで、自分を書きました、照れますね」
と自画像を渡し、はなかっぱが、
「代わりに照れ照れ坊主が誕生しました。めでたし!」
とうまい具合に話がまとまり、子供たちも満足した。私はそれを見て、自分が小学校のときのことを思い出した。

私は入学間もない頃で、朝の自習の時間に、やることないから、先生が
「自由帳に好きな絵を書きましょう」
と言った。私は車だのロボットだのは書き飽きたし、他の人が書きそうだし、学生にもなってあまり子供っぽい物を書きたくないな、と思い、地球の絵を書いた。ただしその頃の私はアメリカだのフランスだの国の形をまだまだ知らなかったので、その辺は適当に書いた。出来上がりころに先生が、
「それじゃ席順に発表していきましょう」
と言い、私は廊下側の列だったので比較的早く順番が回ってきたので、前に出て
「これは私たちの住む地球です」
と、ガガーリンになりきって言ったら、意地悪な男の子が
「それのどこが地球だよ、てめえの顔だろ」
と大声で言い、クラス中がどっと笑いが起きて私は恥ずかしくなって傷ついた。私は確かに青白い顔色をしていたが、海よりも青いわけではなかった。

それからおよそ30年が経って今朝地球が爆発して照れ照れ坊主の顔が誕生し、私は(伏線が回収された)と思った。