意味をあたえる

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テトリスと身代金

この前のズイショさんの記事を読んでいたら、テトリスと身代金のぶぶんが印象に残った。どういう話かというと、あるところにテトリスに熱中している人がいるのだが、この人は実は息子が誘拐されていて、15時までに銀行へ行って2000万円をおろしてそれを指定場所へ持って行かなければならないのに、テトリスばかりしていて、周りの刑事や親戚が
「これはいかがなものか」
呆れるのである。結末までは書かれていなかったが、私はすでに息子は殺されてしまっているのかもしれない、と思った。

そう思うに至った根拠なのだが、私は記事を読みながら、ふと舞上王太郎の「阿修羅ガール」の中で、誘拐だかなにかで息子を失った夫婦が、公園のベンチで一目をはばからずセックスに興じていて、しかもかなり激しいセックスであった。せいじょういであったと記憶する。せいじょうい、の漢字がわからない。最近はあまりエロ本とか読まないから。「せい」は、正しいだろうけど、「じょう」が上なのか乗なのか、ちょっと見当がつかない。いは位だろう。それを見た主人公がこれは何とかだ、と解釈するのだが、そういうはどうでもよくて、公園でするのなんて、腰のあたりがすーすーして風邪引くんじゃないかとか、そういうことのほうが大事だ。私は子供のころ体が弱くて、上着を着ないと「風邪引くよ」とよく両親に注意されたが、私は寒くもないのになぜ上着を着るのか、抗議したい気持ちだったが、たしかに着ないでいると風邪を引く。それで話がそれるが昨日美容室へ行ったらいつもの美容師が
「スパでも受けませんか?」
と行ってきて、まあ誕生月は2割引って言ってたからいっかー、と思い
「どのくらいかかります?」
と訊いたら
「○○円です」
と答え、私は時間のことを訊いたつもりだったのでむっとした。スパは美容師の妻がやるというので、美容師は妻に電話をした。私は手渡された雑誌を読んでいた。そうしたらやがて女の人がやってきて、
「福永純といいます」
と自己紹介した。あと、彼女は長女で、妹と弟がいると言った。三歳ずつ離れているそうだ。私の子供が女ふたりだから、「おそろいですね」とか言いたいらしい。ちっともお揃いではない。そうやって、ちょっとずつ調子を上げていくタイプなのだろうか。あるいは、スパというのはリラックスが目的でもあるのだから、これもスパの一部なのかもしれない。それなら、と思い私は、
「最近本を読んでいて、純という字と鈍という字がごっちゃになって困ってるんですよ、意味としては真逆じゃないですか?」
と気をつかったが、純は曖昧な笑みを浮かべるだけなので、私は
「しまった」
と思った。小学校のときに「おい、鈍子」とか、バカにされたのかもしれない。しかしサービスを提供するのは彼女のほうなのだから、少しはトラウマとかこらえてくれないと困る。普段の夫の方が、割と笑いを理解しているほうだから
、同じ調子でしゃべってしまい、例えば夫婦やカップルでも、二人一組であっても笑いのセンスは天地ほどの開きがある、というのはよくある話で、その場合センスのあるほうが無意識のうちに、もう片方のフォローにまわるものなので、私は夫の姿を探したが、彼はカウンターの奥にあるテレビで野球中継を見ていた。隣ではケトルで湯を沸かしていて、それで私にコーヒーを提供するつもりで、つまりコーヒーに取り組んでいる間は店と客という関係が一時的に解消されると思っているようだ。私は野球に詳しくないが、どちらかのチームにマジックが点灯したようである。昔オリックスイチローがいたころに6月にマジックが点灯したことがあって、問題になったことがあった。マジック、というのは名前に反してただの数字の論理であるのにも関わらず、6月じゃ早すぎるとか、どうしてそういう発想になるのか不思議だった。

それで私は純に頭をマッサージしてもらったら、私の頭が柔らかいので驚き極めて健康的、とほめてくれたので、私はでも、私は子供のときは体が弱かったんです、と言いたかったが、また通じなくても弱ってしまうし、私は額にお札のようなものも貼られているから、寝ている風を装った。極めて浅い眠りである。

私は以前ズイショさんに、
「ズイショさんの文体には、町田康の影響が見られる」
と言ったら、
「それは何度も言われている、あと舞上王太郎も言われます。しかし読んだことはありません」
と、不服そうに返された。自分のオリジナルの文章が誰かに似ている、と言われるのは、確かに失礼な話かもしれない。そういえば私も昔小説を書いたら
村上春樹の短編みたい」
と言われ、言った方はほめているつもりだが、私としては「まだ村上の影響から逃れられていないか」とがっかりした。それで、私が一人称に「ぼく」を使わないのは、そういうことなのである。極めて単純な、本質から外れた手段であったが、当時の私は村上春樹から一ミリでも遠くに行きたかったのである。しかし今になって「弓岡さんの文章はまんま小島信夫」とか、「保坂和志の明らかな真似」とか言われたら不服どころか、光栄に思うだろう。どうしてだろう? もう文体とかいいやーって気持ちだからだろうか。ふと、猿にタイプライターを打たせてシェイクスピアができる可能性、という話を思い出したが、私が適当に書いた文章が保坂和志のエッセイとぴったり符合したら、私はすごいと思うだろうが、みんなは「パクりだ」と思うだろう。

昨日私は保坂和志の「遠い触覚」というエッセイ集を買った。そうしたら最初の話で小島信夫の「寓話」を個人出版したときの話があって、それを買うためにはメールをまず送らなければならなくて、その辺は私もついこの間購入したから知っていて私はメールを送信したのだが、そういうときに例えば、
「私は保坂和志さんの著書を読んで、もう最初に何を読んで小島信夫という名前を知ったのかは忘れましたが、というか、名前だけは第三の新人のグループだったので存じておりました。しかし、作品はまだ読んだことはなく、「小説の誕生」のあとがきで現在意識がない旨を読み、そこでああ、小島さんとはもうこの世の方ではないんだ、ということを知りました。とにかく寓話がおもしろいということなので、図書館の蔵書検索をしたらありまして、借りたら思いのほか分厚くてびびった。出版元が福武書店で、これは進研ゼミをやっているところだったので、私も小学校四年のときなどは進研ゼミをやっていたので、福武書店という文字の並びには馴染みがあった。その最初のテキストに出てきたのが、たしか麦わら帽子が道に落ちているのを見つけたタクシードライバーが、それを拾い上げると中から蝶が飛び立って、しまった、蝶を捕まえたからそこに帽子を置いてあり、持ち主の男の子は蝶を捕まえたことをお母さんに教えたくて、あるいは虫かごをとりに家に帰っているところだったんですね。けれどそんな事情を知らないタクシードライバーは、帽子を取り上げてしまった。好意が裏目に出たんですね。さて、どうしたものかと悩んだドライバーは、たまたま持っていた夏みかんを帽子の下に隠すことを思いつく。それでその場を去るのですが、ハンドルを握りながら、お母さんを連れてきた男の子が帽子を取り上げたら夏みかんがあったら、さぞ驚くだろうな、とほくそ笑むんです。「ほくそ笑む」なんて、ここじゃ相応しい表現じゃないですね。でも、ここへ至る数行前から「ドライバーはほくそ笑んだ」という言葉が頭のなかをちらちらと出てきて、こういう場合は一度筆を置いてリフレッシュして、それから再び取りかかればもっと相応しい語が出るのでしょうが、もういいや、このまま書き続けることにします。それで話の方ですが、この後助けてもらった蝶が人間の姿を借りて恩返しにくるのですが、もうそのあたりはあまり覚えていなくて、もしかしたら恩返しのエピソード自体、私の創作なのかもしれません。だけれどもこの話を書きながら、ふと昨日購入した「遠い触覚」の中で、しきりに保坂さんは「マルホランド・ドライブ」の話をされていて、その中の突然現れたカウボーイが、実はフィクションの外から来ていることを読んだのですが、先ほどの蝶と夏みかんをすり替えたタクシードライバーも、もしかしたらフィクション外から来たのかもしれない。あるいは、フィクションの外に出たがっているのかもしれない。だとしたら、母親を連れてきた男の子は、帽子の中が夏みかんにすり替わっていても、大して驚かなかったのかもしれませんね。けれども、その話が進研ゼミのテキストになっていくつかの問題が展開され、私は先方の提示するスケジュール通りに問題を解いていったのですが、考えてみると、そのときがいちばん幸せだったのかもしれない。私はその少し後からクラス内でイジメを受けるようになって、もう進研ゼミどころではなかった。もっと根本的で現実的なことに、真剣にならざるを得なかった。父は
「どうしてもつらかったら、学校はやめなさい。ただし、やめる際はきちんと校長先生に理由をはなしてから去るように」
と言いました。「やめてもいい」というのはこちらの気持ちとしては軽くなるからいいのですが、どうして校長に挨拶をしなければならなかったのでしょうか。それは親の役目ではないのだろうか。今から思えば、親は子供を利用して学校批判をしたかったのかもしれません。中学の時の先生は「校長は支店長のようなものだ」と言った人がいました。担任を飛び越して支店長に文句を言えば担任は恥をかいてしまいます。父はそうやって担任の落ち度を認めさせ、悔い改めるようしむけたかったのかもしれません。担任の将来も考えたのかもしれない。しかし、それから数年経って私が中学になると他の小学校出身の人もいて、噂によると、実際に校長に学校をやめる旨を直訴した生徒がいると聞いたので、当時はそういうのが流行だったのかもしれません。その、辞めるといった人は女の子でテニス部でした。

参考