意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

情報vs教養

下の子供と平日は朝ご飯をともにするが、ついに
「ニュースが見たい」
と言われてしまった。目玉焼きを焼いてテレビをつけるとたまたまフジテレビがやっていて、おそらく昨晩最後にテレビを見ていたのは妻だから、妻はフジテレビを見ていた。それでたまたま「秋のスイーツ特集」みたいなのがやっていて、娘はすっかりそれに心を奪われてしまったのである。私はスイーツそのものには罪はないと思うが、周りの人間が
「うまい、うまい」
と囃し立てるのを見ても、ちっともおもしろくない。娘はまだ小学二年だが、そういうのを見て味をシミュレートできる年齢になったのか。

今日なんかは「新しいカタチの本屋・特集」みたいな放送であり、さすがにこんなものに興味を示さないだろうと思ったが、目を輝かせて見ている。学校のほこり臭い図書室もこんなだったらいいのに、とか思っているのだろうか。私からしたら本は本だから新しいもなにもなにだろうと思う。昨日まで丸かった粘土をこねくり回して星形にして、
「新しいですよ」
と言っているに過ぎない。例えば築地の新しい本屋では、栞の代わりに冷凍マグロをプレゼントします。エラをページに食い込ませるのがコツです、とかなら「ああ、これは間違いなく新しいな」と思えるのだが。つまり私は新しさに相当鈍感になっている。

私も子供ができるまでは朝はニュースなども見ていたが、しかしぎりぎりまで寝ている方が多かった。子供ができたら親に対する注意を逸らすためにテレビを利用する家庭も多いが、私もそうやったが、今では私は心から楽しんで教育テレビを見るようになった。今ではEテレという名称である。特に「日本語であそぼ」と「シャキーン」が好きである。「日本語」のほうは、まさに教養番組と呼ぶのに相応しく、私はこの番組のおかげで「方丈記」の冒頭と数の単位の名称(億、兆、京以降)を最後まで空で言えるようになった。それと中原中也の「サーカス」が歌になっていて、
「サーカス小屋は高い梁」
「お客様はみな鰯」
の部分に感動した。

もつひとつの「シャキーン」は純粋なバラエティで以前このブログで取り上げた「ザリガニくん」は容姿の冴えない男が美女を振りまくるミニドラマがあったり、あと最近は歩幅クイズというのがあって、正解発表のときに野球少年みたいなのが
「やれるのか、俺!?」
と無駄に逡巡するのがイライラして面白い。

情報なんて放っておいてもいくらでも入ってくるのに、小学生にはそれがわからんのです。