意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「でてくる単語がいちいちわからない」

私は子供のころは母の運転する車でしょっちゅう出かけたが、それは市内に限られ、しかし色んな感情があったはずだがそのほとんどは消え去ってしまった。

唯一の市外は私の病院であり、病院の帰りに私たちはよくマミーマートというスーパーに寄った。母はそこで夕飯の材料を調達した。入り口に向かって左のほうに玩具コーナーがあって、私はそこで武者ガンダムを買ってもらった。

車に戻ると夏であり、武者ガンダムを買ったのが夏だったかはおぼえていないが、覚えているのが夏なのである。皮のシートが
「あちっ」
という状態であり、窓をあけて少し待ってから、乗り込んだ。私は半ズボンを履いていたから、ももの裏側が特に熱かった。熱いシートに背中をくっつけているとTシャツを貫通して熱が皮膚に伝わり、皮膚が発汗し、即座にそれは吸い込まれ、また私の皮膚は渇いた。何度かそれを繰り返すとシートは熱くなくなった。いくつかの坂を上り下りして私たちは家に帰った。

夢の中で私たちは、私たちというのは私と母と妹と弟で、山の上のホテルに泊まろうということになった。観光案内のパンフレットの写真に山道とその向こうの山々の風景が写されていたが、道がとても細くて柵もないからとても危ない道のようだったが、実はそれは撮る角度の問題であり、実際は子供でも行き来できる道だと私たちは知っていた。そこを通って行こうと言うのである。

私たちはぶっつけ本番でホテルのフロントにきたから断られる可能性があり、実際私たちの前のお客は断られていた。これは夢の話である。フロントは男二人組で、ひとりは先輩でもうひとりが後輩だった。後輩が頼りないからすぐにわかった。予想に反して私たちは部屋を確保することができた。注意事項を一通り説明した後、先輩は私たちの元からいったん離れ、隅にあった老人が使う歩行器のハンドルの高さを調整しだした。錆びているのか思うようにシャフトが伸びない。後輩のほうを見るとただ突っ立って微笑んでいるだけだった。そういうのが後半っぽい。やがて高さ調整を終えた先輩が戻ってきて、私たちにスーパー銭湯で使うような、腕に巻きつけるタイプのロッカーキーを渡した。オレンジが三本で水色が一本だった。私は
(風呂があるんだな)
と思った。

フロントから部屋までは距離があった。というか完全な別の建物であり、車で行かなければならなかった。私は観光案内の写真に出ていた道を通るのかと思っていたら、そこは歩行者専用の道だったから、通らなかった。母は細い路地をぐねぐねと走りまくって頼もしかった。大人はいつも頼もしかった。私が頼もしさの根拠を母に尋ねると、母の若いころの友人だとか、出かけた地名だとかが次々に出てきた。つまり、そのときの経験が役に立っていると言いたいのだった。かろうじて私が覚えているのは、
「恩田」
という男友達の名だった。そのとき車は停まっていて、何故停まっているのかと言えば、前に軽トラックが停まっているからで、それは焼鳥屋の店主の車で、目の前が焼鳥屋で、つまり店主は道端に車を停めて店の準備をすすめていたのだった。細い路地だから、道をふさいでも問題ないと判断したのである。あるいはそれは毎日のことだから判断ですらなかった。そのときの車内で母が
「恩田君が」
と話し、私は
「でてくる単語がいちいちわからない」
と言った。この言い方が私らしいな、と私は起きてから思い、今日の記事にしようと思った。昨日の記事で私は自分の性格が嫌みっぽいことを告白し、上記の発言は嫌みっぽくはなかったが、やはり私は生意気な口をきく子供であった。私は常に架空の第三者に向けたような言葉を選ぶ傾向があった。そのときは架空ではなく、車のどこかに妹と弟がいて(母の記憶をたどるとき、彼らは脇役の脇役に押しやられる)私は彼らを満足させたい、リードしたい、頼もしく思われたい、という欲求が、あるいは私にそういう傾向をもたらした。しかしそのとき車内に、本当に妹と弟がいたのかあやしい。フロントで渡されたロッカーキーは、オレンジ3の水色1だった。