意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

涼しい午前中

一昨日の記事について、私は限りなくニュートラルな意気込みで書いたつもりだったが、思いのほか前向きな、誰かを励ますような書き方になってしまったのは不本意だ。私が暗さに憧れているだけの、根アカ人間であることの証左なのだろうか。ぼんやりとしていたら一日が過ぎた。すごい。涼しい午前中だったが、昼過ぎから夏が牙をむいた。しかし全体的には涼しい。昨日の記事について、トランプがトランプのような顔をしているというタイトルを付けたが、記事中ではまったく触れなかったが、それは私が書いているうちに忘れたからだ。ちなみに、先のトランプは大統領候補の方で、後はカードゲームのトランプだ。たまたま見ていたスマップのバラエティでトランプ(人)の写真が出て、
「トランプ(ゲーム)みたいだなあ」
と思ったのが始まりだった。トランプのよう、というのはいわゆる絵札(ジャック、クイーン、キング)に描かれた人に似ているという意味だが、トランプという存在そのものに似ているという意味の方がしっくりくる。その昔、クラスメートが別のクラスメートに、
「梶っぺ、この教科書、電車の味がする!」
と絶叫したことがあって、なぜ絶叫したかというと席が離れていたからだ。叫ばれた梶っぺもまんざらでもないような顔をしていた。他のクラスメートは、教科書を嘗めたのかと苦笑いをしていたが、私にはそうではないことはわかっていた。正確に言うなら「電車のにおいがする」となるのだが、感じとしては「味」なのである。と、私は梶っぺを擁護するようなことを書いたが、私は梶っぺのことが嫌いで、梶っぺも私をザコ扱いしていた。