怖い夢を見た。わざわざ書くとそうでもない内容だが、暗い斜面を車で走っていた。どこに向かっているのかわからないが、いつもと違うルートを通っていて、そこはお墓のそばを通るルートだった。そのため私はとても怖い思いをしていた。具体的に幽霊が出てくるとか、そんなことはなかったがとにかく不気味だった。車は一種の個室だから、そういうつもりで乗れば窓の外の風景も映画のようにかんじることも可能かもしれないが、私の車はよくわからないが骨組みしかなかったので大変心細かった。寒かったり暑かったりはしなかった。とくに何も起こらなかった。
そのとき私の携帯が鳴って、私は覚醒した。見るとフェイスブックで誰それが写真を投稿したとかそんなのだった。こんな真夜中に写真を投稿する神経を疑ったが、時計を見るとまだ一時だった。私はいつもだいたい十時過ぎには寝てしまうのである。寝る前に携帯で小説を読んでいて、いつもはたまらなく眠くなるがその日は眠くなるより先に読むのに飽きた。これはとても珍しいことだった。それから寝よう、と思って目をつぶって寝た。怖い夢を見た。私は車を運転していてそこはどこかの自然公園のような斜面であり、私は道なき道を走っていた。真夜中であり、私は怖くて仕方がなかった。私は恐がりなのである。大人に恐がりがいるなんて、子供時代には信じられなかったが、大人は単に想像力がにぶくなるだけの話だった。秋から冬に変わる風の強い日、小学校低学年の私は家のお手伝いの宿題で雨戸を閉めるように母に言われ、私の家の雨戸は父の部屋が三枚、寝室と今が四枚ずつあった。今がいちばん玄関から遠く、今思えば中から閉めるやり方もあったがそのときは外に出て閉めるのが決まりだった。私は戸袋の向こうからライオンが出てくるような気がして怖くて仕方がなく、ダッシュで雨戸を閉めた。私の携帯が鳴った。見ると誰かが犬の写真を投稿したとかの通知だった。私の知らない人である。犬だと思っていたら子供だった。別に子供が犬に似ているとかではなく、犬や動物が好きな人だから子供も自然と犬に見えた。動物の毛皮を首や上半身に巻く人を手厳しく非難していた。その中にはフェイクファーもあった。その人はまた、とても大きなバイクに乗っていた。女である。それ以上のことは知らない。私は夢の中でバイクに乗っていた。骨組みしかない車とはバイクのことだった。そこで芝生の斜面を下っていた。山である。そこは自動車教習所の特別講習のコースでもあった。特別講習はその土地ならではのコースが設定され例えば都会なら首都高に乗ったり、私の通った教習所は川の側にあったから河原を走ったりした。でっぷりして日焼けした教官が「ハンドルを目一杯に切れ」と行ってぐるぐると周り、轍が円形になると満足した。携帯が鳴った。時計を見るとまだ一時だった。隣に子供が寝ていた。私の子供である。私はもし携帯がならなければ、夢のことなど忘れて、あるいはその後に見る夢に上書きされ朝にはきれいさっぱり忘れているだろう。こんな早い時間に見る夢なんてなおさらだ。しかし携帯が鳴って私の夢はパソコンでいうとエンターが押されたみたいになって確定した。そうすると携帯が鳴った時点から夢がスタートしているみたいで、時間が逆戻りしたようなかんじがする。