意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

死ぬことがわからない

安楽死に関係する記事を読んで私は死ぬことがわからないと思った。死ぬことは会社を辞めたりすることとは違うもっと根本的なことでしかも見当もつかないぶぶんもあるから不思議でもある。見当がつかないことは他にもあるが宇宙とかあるがいつかどこかで解明されそうな雰囲気があるが死はすべてをシャットアウトする。主観的すぎるからか。しかも我々はそれをなんとなく受け入れていて死後についてはいくつかの仮説を採用するにとどまる。


昨日までよくウェザーリポートを聴いていていいなあと思えるようになった。昔よりも断然良い。文句があるとしたら曲の最初のほうの音が小さいくらいだ。私は車で聞くと音が小さいときにはボリュームをあげるのでサビになって大音量で聴く羽目になってしまう。私は人よりも小さな音で音楽を聴いていて人を車に乗せると驚かれる。同じように叔父も車でラジオを聴くが聞き取れない音量なので私は驚いてしまった。音楽はともかくラジオは人が喋るのだから単語を聞き分けなければ意味がないと思ったからだ。叔父からしたら誰かが喋っているのさえわかれば満足なのかもしれない。私は小声で話されると陰口を言われているようでたまらなくなる。私はよく陰口を言われる性分だったのである。それは馴れ合いを嫌うからある面では仕方のないことだった。妻などはその点真逆で馴れ合いの達人のような人で何でもかんでもすぐ人に言いつけるのですごい。徒党を組まなければ済まない性格なのである。私はひとりは苦しいがなるたけひとりで行動したいという思いが年々強くなる。