意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

一番の健康法は死を定義すること

昨日の記事と似ているが健康法というものがあるがそういうことを頑張る時期もあるが頑張っても死んでしまうのは空しい気がする 健康のためなら死ねるというジョークが昔からあるがそういう境地はあながち健全なのかもしれない 健康というのは単純に死までの時間稼ぎなのではないか 健康だからと言って死ぬのが怖くなるわけではなく怖いから健康になるのである そうじゃないですよという人が大勢いるだろうがそういう人は何が目的なのだろうか 人生を充実させるためなのである しかし人生の充実も結局は死から目をそらす目的なのかもしれない だから体を丈夫にするのはいいけれど頻繁に死について考えて死ぬことに対する仮説を立て続けないと健康とは言えないのである 私は最近は死んだ後は無だよねという考えにシフトしてきていて意識という装置が生まれる前や死んだ後を錯覚させるのは友達の気持ちを考えるのと同じようなものだと思った そういう風に考えると死ぬのはあまり怖くないかんじがする 私はこの冬も大きく体調を崩すことなくここまでやれて良かったと思うが昨日まで丈夫だからって明日以降が担保されないのは空しい