意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

「みんな」に中身がないことを改めて知る

子供の頃ファミコンがほしくて「みんな持ってる」て親に言うと「みんなって誰?」と返されて2、3人の名前を挙げて果たしてそれぐらいの数がみんなと呼べるのかと思っていつも頓挫した 「みんな」とは果たして何を指している言葉なのだろうか 欲望に対する根拠の薄さをごまかす言葉なのだろうか 本当に欲しかったら一体何人が所持しているのか実地調査して本当の「みんな」を割り出しても良さそうだ あるいは本当は「みんな」じゃないことを知っているのか 女子は持ってない子もたくさんいただろうし


親になって子供に言われたときもやはり「みんなって誰のこと?」て聞き返す 親になって気づいたが子供のおねだりに対して親は割とぎりぎりなのである ぎりぎりとは「もう一押しされたら買ってもいいかなー」と思うものなのである しかしせっかく買ってあげたものをぞんざいにされたくはないから「本当に欲しいの?」という意味で「みんなとは?」と訊いてしまう 私は理屈っぽいからそうすると子供は引っ込めてしまう そうして私は欲望ってもっとカジュアルなものでもいいよなと反省をする


大人同士でも「みんな」が登場するから驚いた 私に批判的な意見を言うときに「みんな思ってる」と表現する人がいる これは明らかな責任逃れというか自分をカムフラージュしないと言えないのである そのやりかたを批判するつもりはないが大人になって「みんな」が蘇るとは思わなかった