意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

十字路(5)

夏期講習はお盆までには全日程が終わり、お盆明けの金曜日に講師たちで打ち上げをやることになった。どうやらそれは恒例の行事らしく、講師用掲示板の真ん中に、堂々と手書きのチラシが貼られていることからも、それが判断できた。タイトルは女の子っぽい文字で「夏期講習打ち上げ!」と書かれている。つまり、夏期講習に出た者なら誰でも参加資格があるということである。しかし当然ながら私は参加を躊躇する。横の繋がりの薄い私にとっては、講習の疲れを癒すはずの場も、周りに過度に気遣って会話の輪に入れることもなく、余計に疲労度を増して終える可能性が高いからだ。大学で飲み会というものは幾度も経験したが、2回に1回はそういった、酒ではなく人に飲まれる展開になった。なので、私は飲み会というものにかなり警戒している。チラシの一番下には「会費3,000円」と書かれているので、当たり前だが有料だ。私は早々と「誰かに誘われたら参加、何も言われなければ不参加」と対応を決めた。極めて無難かつ地味な対応だ。余談だが、そこには更に米印で「兼山塾長の寸志に期待してまーす」と注釈が振られている。ということは兼山は来ないのか?これはプラス材料だ。何に対してのプラスなのかは不明だが。
そうなると流れ的には不参加となるのが、現実的な展開だが、ここは虚構の世界なので私は参加する運びとなる。笠奈に「出るんでしょ?」と言われたからだ。ミキちゃん(作者注:ミキちゃんとは「私」が前回夏期講習で教えることになった中学二年生の女の子のことである。今後の何か重要な役割を果たす予感がしたため、名前をつけることにした)との講習の最終日、笠奈から「今日は少し残ってほしいと言われ、昼過ぎまでミキちゃんが帰った後の席でそのまま待っていると、自分の授業を終えた笠奈にから昼ごはんに誘われ、そのまま駅前のマックへ行った。正直こんなところで無駄金を遣いたくなかったが、というかもっと言えば笠奈との話は退屈で、マクドナルド一食分の価値もないと思っていた。
店に入ってなんとかセットをトレイに載せ席に着くと、案の定この4日間、ミキちゃんにはどんな指導をしたかみたいなことを聞かれた。なるべく話が膨らまないように、注意しながら無難に回答した。ハンバーガーの味もあったもんじゃない。覚えているのは肉の歯ざわりと、ピクルスのアクセントくらいだ。
だがビッグマックを片付け、ポテトに取り掛かり始めると(私はどういうわけか、マクドナルドに関しては複数のものを同時進行で食べられない)笠奈の態度がにこやかになってきた。「昨日ミキちゃんと電話で話したんだけどさ」とアイスコーヒーのストローを口に加えながら身を乗り出してくる。
「ミキちゃん、あなたのことすごく気に入ったみたいよ。教え方もわかりやすかったし、休憩中のおしゃべりも楽しかったって」
私はつい一時間ほど前までやっていた授業のことを思い出した。講習も4日目になると、緊張感も消えてきて、授業もスムーズに進む。授業、と言っても私の場合は宿題がメインで授業では、そこでつまづいた箇所をフォローしていくだけだ。解法のテクニックや、小テストの類はまずやらない。ミキちゃんは私が普段見ている生徒とは違い、出した宿題は必ず全部やってきた。この部分は時間があったらでいいよ、と言った箇所も律儀に解いてくる。それが新鮮だったので、私は少し過剰にほめてしまった。別にやる気を出させるための演技ではなかったが、私の「すごい」や「えらい」がミキちゃんにとって、私の印象を良くしたのかもしれない。おそらく今ごろ軽井沢への家族旅行の準備をしていることだろう。冗談で「お土産買ってきてね」と言ったら「おっけーです」と返ってきた。てっきり困った顔をすると予想していた私は、あわてて「うそうそ冗談。ていうかお土産とか、もらっちゃダメなんだよね(笑)」ともっともらしい嘘をついた。どうして意味のない嘘をついてしまったのか、自分でもわからない。おそらくはずみだ。別に兼山からは、お土産をもらうなというお触れは出ていない。禁止されているのは、生徒との電話番号やメールアドレスの交換だ。だから、さっき笠奈が「昨日電話で・・・」と普通に言い出した時には、一瞬動きが固まってしまった。もちろん、それを咎めようとか兼山に言いつけてしまおうとは思わない。笠奈がルールを破ったからといって私には影響はないし、私はどちらかと言えば兼山の方に悪いイメージを持っている。番号の交換はトラブルに繋がるおそれがあるが、笠奈はそれを理解した上で生徒に番号を聞いたのだ。
その後笠奈とは、とりとめのない話をした。お互いの大学とか住んでいるところなどを言い合った。笠奈は私の2つ歳下で、都内の大学へ通っていた。中学は同じ所を通っていたが、2年の途中で引っ越してきたため、私と同じ校舎内にいた事はなかった。「俺が卒業するのを待ってたの?」と聞くと「うん」とまったく躊躇なく言った。最初から笠奈のほうが歳下だということはわかっていたし、今も2歳下だということを改めて確認したが、笠奈の方は、まるで敬語とか、へりくだる様子はない。別にそれが不快なわけではなくむしろ新鮮だった。遠慮というものがいらない。アイスコーヒーを飲み干すと、笠奈は鞄から携帯電話を取り出し「番号とアドレス、教えてくれない?」と言ってきた。断る理由など無いので、教えた。
私は、笠奈について、単純な女だなと思った。出会った時は、かなり警戒をしていたが、一度打ち解けてしまえばどんどんと懐いてくる。おそらくミキちゃんが、かなり好意的に私のことを報告してくれたのだ。だが、中学2年生の言うことを真に受けすぎではないかと思う。無防備ですらある。無防備、という自分の言葉に、私は反射的に笠奈の胸元に目をやる。笠奈は白いノースリーブの襟付きシャツを着ていて、胸元はちらりとも見えない。当然ながら、性格と外見は無関係なのだが。
「そんで、またミキちゃんの話に戻るけどさ。ミキちゃんあなたのこと好きだと思うよ」
さすがに私は食べていたポテトを喉につまらせ、むせそうになる。
「何言ってんの?4日しか一緒にいなかったのに」
「んー。なんとなく。だってすごく楽しそうに話してたから」
「授業が楽しかった、てだけでしょ?それだけで好きとかないんじゃない?」
「かもね。てか、もし告白されたらどうする?」
「どうするって断るよ。だって9つも下だし」
「そうなの?別に大人が中学生と付き合ったっていいじゃん。私の友達にもいるよ。中学生と付き合って男の人いるよ」
本当は”好きだと思うよ”の時点で、ミキちゃんと付き合うシミュレーションを頭の中で展開していて、まあ慎重に付き合うのなら、ありなのかもなとか思ったりした。だが、笠奈に「犯罪者」と言われそうな気がしたのできっぱり”断る”と宣言してしまったのだ。笠奈の意外な答えになぜか後悔した気持ちになる。
「ていうかさ、自分は大丈夫なの?例えば10歳上の人と付き合ったりするのは?」
「人による」
極めてリアルな答えだ。
そんな風に笠奈と打ち解け、帰り際には「来るんだよね?打ち上げ」と聞かれ、最初に決めた”誰かに声をかけられたら参加する”というルールにのっとり、参加すると答えた。「それじゃあ一緒に行こうよ。もし嫌じゃなかったら迎えに来てくると助かるんだけど」とちゃっかり送り迎えの約束まで取り付けられてしまった。n号線旧道沿いの弁当屋駐車場で、6時45分に待ち合わせることになった。笠奈の家は、弁当屋の奥200メートルくらいのところにあるらしい。