意味をあたえる

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十字路(11)

前述のルール通り、今日は笠奈を迎えに行かなかったので、帰りは自転車で並走した。秋が深まって風が冷たくなり、パーカー1枚では肌寒い。昼間との寒暖差が大きく厄介な季節だ。「酔いも覚める」と2人で文句を言いながら向かい風に自転車を走らせた。暗闇の中で落ち葉が舞っている。n号線に出る交差点で信号に捕まり、特に話す事もないので、気になっていたことを聞いてみた。
「てかさ、こうやって2人で飲んでて、彼氏とか怒らないの?」
笠奈は「うーん」とはっきりしない返事をした。笠奈の恋人の有無について聞くのは初めてだった。なのでいきなり彼氏がいると決めつけて質問をするのは先走った観がある。が、2人で飲んでいても、笠奈の携帯はよく鳴り、時には私の目の前で、手早くメールを返している時もあった。なんでもいい。いなければいないと答えればいいだけの話だ。この質問は、答えがはっきりとした否定でない限り、全て肯定となる。なので、更に踏み込んだ事を聞く。
「もしかして俺と飲んでるのは内緒にしてるの?」
「まあ言ってはいないけど・・・」
笠奈は珍しく、歯切れが悪いが、もうはっきりと恋人の存在は確定する。私は北風に紛らせるように、息をつく。耳が冷たい。もう用件は済んだので、歩行者信号は速やかに青に変わって欲しい。ここに立ち止まっているのは嫌だ。
笠奈にとっては、単に飲み友達が欲しかったというだけの話だ。できれば異性の。普通に考えれば、恋人がいるのに男と2人で飲みに行くということはあまりしない。邪推をすれば、もしかしてちょっとした倦怠期に入り、刺激が欲しいのかもしれない。寂しさを紛らわすと同時に、その、素敵な恋人を心配させたいのかもしれない。何にせよ、私は笠奈の人生をより充実させるために、一つのパーツに過ぎないのだ。
信号がなかなか青に変わらないお陰で、私の思考は深みにハマりつつあった。だが、こうして2人きりで飲み会を重ねているのは逆に言えばチャンスと言えるのかもしれないが、ポジティブな見解を今の私は拒否していた。なんとなく被害者面したかったのである。
「彼氏ってどんな人?」とか「やさしい?」とか陳腐な質問を繰り出したいところだったが、笠奈が言いづらそうにしているので、黙っていることにした。笠奈の自転車の籠には、茶色い鞄が入っていたが、ふと見ると隙間から青緑の光が漏れていた。メールか電話か、何かを受信したのだろう。だが、笠奈はそれに気付かないふりをしている。正面を向き、道の向こうの小さな祠を見ていた。子どもの頃からあるもので、岩の部分は年月によって削られ、全体的に丸みを帯びている。n号線がどれくらい古い道路なのかは知らないが、この場所で何か良くない事が起こり、それを鎮めるために建てられたのだろうか。
そのうちに信号が青に変わり、私たちは同時にペダルを漕ぎ出した。車道の方が少し盛り上がっているためにペダルは重く、最初の何メートルかはふらふらする。

完全傷心モードで、自暴自棄になった私は、その翌々日の授業時、ミキちゃんに「好きな人とかいる?」と聞いてみた。いい加減はっきりさせたかった問題だった。ミキちゃんは「え?何ですかいきなり」と口を緩めた。「この問題が終わったら休憩」と宣言して、ようやく答え合わせが終わった所で、何の前触れもなく聞いたので、ミキちゃんの頭の中には、まださっきの数式が残っているはずだ。だがそんな事には構わない。私には今そんなことに気遣う余裕はないのだ。
ミキちゃんは一度机に置いた黄色いシャーペンを手に取り、右手でペン先を持つと左手を軽く叩いた。ぺちぺちという音がして、何かをカウントしているように聞こえた。そして、いるよ、と私の方を見て言った。
「ていうか、付き合ってるんだ、サッカー部の人」
念のために言っておくが、私はサッカー部ではない。中学の時に、テニス部に入ったが顧問が嫌いで半年でやめた。運動全般が得意ではない。
私の心中は、安堵と落胆の半々で彩られ、ちょっとひと言では説明できないような状況になった。合算すればプラスマイナスゼロであるが、そう簡単に混ぜあわせられる種類のものでないらしく、正反対のインパクトが同時に私を襲った。心臓を無理やり両サイドに強引に引っ張られたような息苦しさを感じる。
とは言え、そんな状態はほんの数秒で、最終的に安堵の気持ちが採用され、私は落ち着いてきた。自分とミキちゃんの年齢差等、マイナス条件が徐々に見えてきたのだ。「いいね。サッカー部なんてかっこいいじゃん」と素直に祝福できた。ミキちゃんは「まだ付き合って一ヶ月くらいなんだけど」と言いながら、左の耳たぶを触った。ピアスも何もついていない、純粋無垢な耳たぶだ。
それから、サッカー部の彼のパーソナル情報(背、クラス、趣味その他)や、二人の馴れ初め(どっちから告った?とか初デートその他)について聞き出し、なんか微笑ましい気持ちとなった。私は、人生の先輩ぶって、男の喜ぶポイントをレクチャーしたが、自分の中学時代を振り返り、果たして自分にレクチャーする資格などあるのかと、心中で失笑した。ともあれ、照れながらも、素直に返事をするミキちゃんはどこかの馬鹿とは違い、心の底から可愛いと思えた。
とりあえず、ミキちゃんを冷やかし飽きたところで授業再開と思ったが、やはり今度はミキちゃんの方から「先生は?彼女とかいないの?」と聞いてきた。何のお作法かは知らないが、この手の話をすると「じゃあそっちは?」と聞き返されるのが常なのだ。
「いないよ。ていうかこの前振られちゃった」
実際に振られたわけではないが、もうそれでいいと思っていた。起きたことをそのまま伝えるのは、時間の無駄でもある。私は今仕事中で、余計な事に割く時間はない。予想通りミキちゃんは、困ったような顔をしたので、まあそうなると思ってたから仕方ないよ、と笑って言った。
「じゃあさ、笠奈先生と付き合っちゃえばいいじゃん。笠奈先生多分好きなんじゃないかなー、て思うんだよね。私もお似合いだと思う」
ミキちゃんは一気にテンションMAXになって「先生がいいなら私も協力してあげるよ」とまで言い出した。その様子から、ミキちゃんが前々から、私と笠奈が付き合うことを望んでいることを悟った。
私は「お願いします」と頭を下げるのも馬鹿らしかったので、ただ笑うだけでいいとも悪いとも言わず、そのまま授業を再開した。