意味をあたえる

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十字路(13)

笠奈はクリスマスは家族と過ごすらしい。結局クリスマスの話題になって「どこでデートするの?」と聞いてみると、その日は母親の仕事が遅くなるために、代わりに夕飯を作らなければならないとのことだった。でもそれは、クリスマスイブのことで、だったらクリスマス当日という代替日というか本命日があるわけだから、じゃあそっちは?としつこく聞くと「まあ仕事なんじゃない?」と他人事みたいに答えた。笠奈の彼氏が社会人だということは既に知っている。ここで私が新たに入手したのは、彼氏Xは仕事に熱心な男であるということだ。笠奈は相変わらずこの話題になると口数が少なくなるが、私は掠め取るように少しずつ情報を集め、外堀は徐々に埋まりつつあった。埋まりきったところで何が起こるわけでもないが。

受験が目前に迫ったということで、私のメインの生徒も多少の緊張を見せていた。普段よりも口数が少なく、そのため授業に入るまでの時間が、やけに気まずいものとなる。だが、授業に入って少し経つと、いつもの感じになり、どうやら彼の体が固くなっていたのは周りの雰囲気にのまれただけだということが、なんとなくわかった。宿題の指示を出すといつものように、机に突っ伏して悲鳴をあげる。少しくらい緊張してほしいが、まあこれでいいような気がする。年末の模試でも、志望校は安全圏の端っこの完全セーフゾーンに星をつけ、こちらからしたら張り合いがないくらいだった。こうなったら風邪の予防策とか、そういう事を大真面目にレクチャーする方が余程有用な気がする。
それでも一応は"油断禁物"をスローガンに何度かやらせた過去問を再び解かせたりしたが、結局は全てが水の泡になった。1月後半の推薦入試で、あっさりと合格を決めてしまったのである。推薦入試には筆記はなく、内申点と面接で合否が決まる。もちろん合格したのだから、嬉しくないはずないが、私の実感としては、この半年強の期間が全て徒労に終わった気がし、ここまでの授業料を払った親も、さぞ無駄金を払ったと苦笑いをしてるのではと、余計な気を回した。もちろんそれは結果としてそうなっただけだし、内申点は普段の成績で決まるのだから、塾で教える行為全てが無駄とは言い切れない。そうやって冷静に分析して、沈み込む気持ちを下支えしても、思ったような効果が得られない。苦労の先になんとか手にする目標が、横からひょいと持っていかれたような感覚があって、私の中で腑に落ちない。もちろん講師生徒の中には、半ばノイローゼになっている者もいて、ノート問題集に覆いかぶさってる後ろ姿を見たら、そんなことは口には出せない。
先に親から報告を受けた兼山は、完全に私達の事を野放しにしていたくせに、自分の子どもが合格したかのように笑顔満面で喜んでいた。それを弾みにして他の生徒の合格も勝ち取ってやろうという意気込みが垣間見え、私は心底うんざりした気持ちになった。ノートパソコンの脇に置かれた二つ折りの携帯電話には、御守りのストラップがついていて、私は意味もなく「兼山さんでも神頼みですか」とつっかかりたくなる。まったくわけがわからない。
というわけで、私は1人の生徒の進路を無事決めてお役御免となったわけだが、1月分の授業を、あと1回しなければならなかった。月途中にやめることはできない、というかただの金の問題だ。そういうことなら適当に理由をつけて休めばいいのに、どういうわけか律儀に時間通りやってきた。こんな時は私の方も中学3年間の総復習とか、または古代エジプト人の0大発見エピソードを披露した方が良かったのかもしれなかったが、馬鹿馬鹿しすぎる。素直に「お前なんで来るんだよ」と言ってやった。生徒も「だって行けって言うからさ」と頭をかきながら笑っていた。その瞬間の少年ぽさを見た時に、ふと今日が終わればもう二度と会うことはないだろうと思い、その寂寥感が心地よかった。入口そばの机には兼山が座っていて、そんな私たちのやり取りを眺めていたが、立ち上がって、おめでとうがんばれよみたいなどうでもいいことを言って生徒の肩を叩いた。おかげで私がそんな事を言わなくて済むような気がして、私の気持ちは軽くなった。
席に着くなり「そういえば、お前って彼女いるんだっけ?」と聞いてみる。もし「いない」という返事だったら「好きな人は?」とたたみかけるつもりだった。生徒は「いるよ」と答えた。2年の終わり頃から付き合っているそうだ。その辺りの説明をする時に、躊躇する様子はまるでない。のろけているという感じもなく、淡々と私の質問に答えていく。写真とかとかないの?と聞くとポケットから携帯電話を取り出し、電池カバーを外して、裏側に貼ってあるプリクラを見せてくれた。ショートカットで少しぽっちゃりしていて、あとはシールが小さくて印象がよくわからなかった。「かわいいじゃん」と言うと「そこそこ」と返ってきた。
「高校は?」と聞くと、別々の学校へ進学するらしい。彼女の方は隣町の女子高を志望している。「一緒の所行かないんだ?」と聞くと、本人もどうしてこんなことになったのか事態が飲み込めないような顔をして「行かないんだよね」と答えた。私も「まあ女子高ならな」とおそらく見当外れなコメントをした。
「だからさ、今度の卒業旅行が最後なんだよね」生徒が言った。
私たちの机の上には、さっきの彼女の写真がカバーの内側に隠されている携帯電話しかない。私も今日は完全に無気力全開で、問題集を端っこに置くような”勉強してます的な演出”すらしなかった。携帯電話はメタリックブルーのカラーだったが、プラスチックの表面は所々が剥がれ、傷だらけだった。その中にある彼女の写真が、外敵から身を守られている感じがする。
卒業旅行はどこへ行くのかと聞くと、お台場とのことだった。ディズニーランドの方が100倍いいと文句を言うので「卒業旅行なんて、どこ行こうが一緒だよ。行き帰りのバスを楽しむんだから」と昔誰かが言っていた事を横流しで言った。そして「俺も夏に行ったよ。そういえば」と付け加えた。
ジョイポリスとか楽しいの?と聞かれたので「夜中だったから、どこもやってなかった」と答えると「なんで夜中にあんな所行くんだよ」大声で笑われた。私は、指を口に持って行き静かにするように注意すると「勢いだよ」と言って笑った。そして「昼間なら楽しいって、誰かが言ってたよ」と付け加えた。
その話で、授業の時間がほとんど終わり、あとは生徒を放置して、先に報告書でも書いてしまおうかと思っているところで「てか先生は?」と聞かれた。私は「いるよ」と答えた。
片想いなんだけどさ、そろそろ告ろうかと思って。そう言うと「じゃあがんばんなよ。俺応援してるから」と生徒は笑顔で言った。左手で机の上の携帯電話を押さえていた。