意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

どんな人と仕事がしたいか

仕事が出来るって何だろうとめちゃくちゃ考える

ここ数年私は管理職ではないけれど、人に指示を出すことばかりが仕事になっているので元記事についたコメントに考えがそぐわなくなってきた。「仕事ができない」としか言わない上司はもちろん仕事を果たしていないけれど、Aができます、Bができます、だから仕事できますともならないと思う。たぶんニュアンスの違いで、「A」や「B」はできなければ落第する必修科目で「仕事」はゼロスタートの営業成績みたいなものだ。だから「仕事」は最終的にできなくてもいい。周りが期待するのは勝手だが、応えられないことに対し怒ったり責めたりするのはお門違いだ。組織のルールとかあるかもしれないが、自重はすべきだ。


「仕事」ができる条件として「忖度」とか「気が回る」とか「上司に気に入られる」と挙げられていたが、それにも違和をかんじた。これは私の実際の話で、そういう人がいて最初は「1言えば2か3はやってくれる、優秀だな」と思っていたらその人は実はただの点取り屋で、私の業務を肩代わりしてくれることにリソースを割いてしまい、本来任せていた業務がお留守になってしまったのである。当然そこから軌道修正をはかったが、どうやらその人は目立つことが好きで自分に加点するのが好きなタイプで、勝手に社内ネットワークつくったりするが、行き交う情報は極めてスッカスカというタイプだった。結論として仕事のできない人だった。


優秀な人が依頼以上の付加価値をつけてしまうことは常にあるが、私は前段の経験以降、手放しで喜ばないようにはした。突然結論をいうが、仕事ができるとは、より抽象度の高い視点でプラスの行動がとれるということだろう。会社勤めならその目的は金儲けなのだから、金が儲かるように振る舞えばいいのである。もちろん振る舞って金が儲かるなら会社勤めなんかしないから詭弁なのだが、要は自分サイズにアレンジしての行動してみてくださいよという話しであり、そこにセンスとか努力が出るのだろう。もっと言えば上司がその上司に誉められて機嫌が良くなるようにすれば良いのである。それって結局ご機嫌取りじゃない? と思うかもしれないが、上司の上司から上司を守るために、場合によっては正面からNOを言わなければいけないのである。そこには利己的なものはないのである。


それで嫌われてクビになったらゴメンナサイという話なのだが、結局信頼できるのは自分を出せる人なのである。最近責任をとることが苦手な人というのが何人かいて、そういう人は話をすると「Cさんがこう言っていた」と安直に身代わりを立ててしまうのである。あとメールや書類の署名に絶対に自分の名前を残さない人とか。そういう人の不安や恐怖を取り除くのも仕事なのだが、案外その人なりの合理的なワークスタイルなのかもしれない。