意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

子供にほめられた

妻が自分の仕事について上司にダメ出しされたときにダメ出しするなら最初から教えてほしいという意見に対し失敗しなきゃわからないこともあるよね的なことを車の中で言ったら後から私がいないときに子供が「いいこと言うね」と私をほめたらしい。私は会社の人間にそういうことを言われたら「当然だろ」と思ってしまうが自分の子供に言われたら得意な気持ちになってしまう。そういえば私が子供の頃に自分の親に対して「いいこと言うなァ」なんて思ったことはない。母に対しては主張ばかりだったし父からは一方的な指導しかなかった。あまり仕事上の悩みとか教育とかが俎上にあがることがそもそもなかった。今より親というポジション、子というポジションが明確でそれを守る意識が高かったように思う。平たく言うと親は常に子供より優れていなければならなかったのである。私の弟が高校にあがると家にあまり帰らなくなりそれについて家族会議が開かれることになった。今の私が父親ならば例え帰らなくても定期的に連絡をすることを「お願い」するという方法をとるだろうが当然そんな風にはならなかった(母は言ったかもしれない)。自然と家族内で孤立した弟は会議でも居心地が悪くなり早々と離脱しようとしたところ父がものすごい剣幕でその場にとどまらせた。それで私も弟の肩を持つ気になり、ルールはルールだけどあなたがもし将来親になったら自分の子供とは違うルールを取り決めるのがいいですよとアドバイスしたら後から母が兄の言うことは素直に聞くから悔しいと僻んだ。私も当時だからドライなことを言えたが今はできない気がする。当時から私はいいことを言っていた。


話がそれるが昨日のセオリーマン上司について、後から思ったが方針が食い違ったときに「命令」という言葉を使ってほしかった。以前の別の上司のとき、上司の提案に対して私が「それはできない」と食い下がったとき最後は「業務命令だ」と退けられた。命令というのは今は敬遠されがちな言葉だが一通りの議論を経たあとであれば終止符をはっきり打てるよい言葉だと思う。「あなたのためだから」みたいに濁されるより、上司が自らのエゴを認めて清々しい。私はここ数年で別々の人に二度「命令」という言葉を使われたがその清々しさからかえって前向きな気持ちになれた。