意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

庭は狭く、ノートは広く

月に一度くらいは実家に顔を出すが、どういうわけかこの前の日曜に行ったら庭が狭く見えた。ドラクエ5サンタローズが青年時代に訪れる場合、水路の幅を狭くしているのと同じである。かつて庭ではサッカーやキャッチボールをしたが、よく家にぶつけなかったと思う狭さであった(実際ぶつけまくった)ドラクエのエピソードから考えると誰にでも起きる現象なのだろうか。そう思って家に上がると台所も狭い。かつて母が料理をする脇でダイニングのイスを倒し「お家ごっこ」をしたのを思い出す。脚の部分が建物の壁や柱に相当し、背もたれが畑の畝を表す。いかにも農家の発想である。しかし今はとてもじゃないがそんなことはできない。大人だからそんなのに熱中できない、という意味ではなくイスを倒して私がかがむスペースなどないのである。世界がずいぶん縮んだのである。しかしそれに気づいたのは数日前だった。


庭の隅の柘植の木の根元に軟式野球のボールが転がっていた。一体何年そのままだったのだろう。表面がぼろぼろにひび割れている。最後に野球のボールを放ったのはいつだろう。境目の断定はできないが、かつては日常にボールは付き物で放ったり蹴ったりした。しかし私はスポーツ少年団とか部活とかでボールを扱うことがないのでよくよく考えれば不思議だった。時代的に野球が遊びの必修だった最後の世代かもしれない。夏休みに球技大会があって1週間か2週間毎朝6時半に練習をした。私は大人しかったしスポーツも苦手なので決して愉快な行事ではなかった。知らない人ばかりで緊張をした。私はフォアボールばかり選ぶので、必ず途中で交代させられた。そういえば利口な子は参加を拒否していた。私は羨ましいと思いながら「どうしようもない奴だ」とその人を馬鹿にした。私たちのお母さんたちが女子マネージャーになって、守備から戻ると麦茶や蜂蜜漬けのレモンを振る舞ってくれた。それらがとてつもなく美味しかったのは覚えている。だから100パーセントの悪の思い出だったわけではない。


庭は狭くなったがノートは広くなった。私たちのころはB5サイズが基本だったのにA4サイズが今だからである。高校の頃ウケ狙いでA4サイズを買ったがこんなに広いノートを使いこなすのは難儀だなと思った。今は私の目の前にあるのはA4サイズの書類ばかりだが、とても難儀だとは思わない。A4も少し縮んだのかもしれない。