意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

学び

私は昨日空を見上げていた。昨日ではない。昨日は雨降りで私は1日家にいた。だから一昨日だ。公衆浴場の湯船につかりながら見上げたのだ。しかし記憶の中では青空だったからこれもおかしい。公衆浴場に行ったのは夜だから。見上げた空に竹が伸びていて風によって大きく揺れていた。風の強い日だった。上空はもっと強い。私はその竹の葉が揺れる様子に懐かしさを覚えた。


懐かしさ、とは物理的に葉が動く様子に対してではなく、私はかつてこの葉の動きの背後にあるものを捉えようとしていたことに対してかんじたのだった。なので竹と青空を区別する輪郭が分厚くなって青空にシワが寄り、特別なものに見えた。しかしそれ以上は無理だった。そういう物の見方がとても幼稚なもののようにかんじた。


5年くらい前から仕事の難易度が上がってしまい、それはある日突然起こったことであった。またよくある話としてここまでのめり込む必要があるなんて、最初は思いもしなかった。しかし起きてしまったものは仕方がないので私はそこから学びを得るようにした。私は元来知りたがりなので学ぶ機会を得られるのはありがたかった。短期的にはしんどい思いをしても、後から振り返れば良しと思える数年だった。


少し前に親知らずを抜き、それは前回の「学生はつやつやしている」という記事を書いた1時間か2時間後の出来事だった。今も痛みが残るがようやく頭がまともに動くようになってきた。痛いときは痛み止めを飲めば良かった。私は痛くなってから飲むからいつも2時間くらいは効き目が出なくて難儀した。こめかみが凝り固まって中指でごしごし擦ったが、こめかみはいつでも固かった。