意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

途中式(18)

三谷さんが具合が悪くなって床に寝そべりだすと淀川がその理由についてあれこれ自説を展開しだした 淀川は週刊誌みたいな男だった いくつかの仮説の後に予想通り「ストレスがどうこう」と言い出した 私は三谷さんの上司にあたる鴨下に状況を説明しに行った 1年くらい前から鴨下はこちらの作業場にやってきて三谷さんの上司になった そのときには三谷さんは私たちの部署からは異動していた しかし同じ建物だった上に三谷さんは異動になったことを言わなかったので私たちは三谷さんがずっと我々の上司なのだと思っていた 確かに作業はやらなくなったがそれも一時的なものと解釈していた 三谷さんも我々に仕事を引き継ぐこともせず月末になれば全員の勤務表を作ったりしていた 私が三谷さんの後を継いだのは三谷さんが異動になってから二年近く経ってからでそれから三年近くたって三谷さんは具合が悪くなって床に寝そべった 床はコンクリートなのでひんやりして気持ちいいのだろうか 出しゃばりの淀川が
「頭のところに段ボール敷いた方がいいんじゃないですか」
と提案し三谷さんは無視した 私は「帰ったら?」と言ったが目眩がするから車を運転するのも難しいという あの車好きの三谷さんが運転できないと言うのだから相当だろう 私は鴨下に状況を説明することにした 鴨下は電話中だったので私は手で緊急事態を合図した 鴨下は電話をしたまま私の後をついてきたが私はできたら到着する前に状況を説明し切ってしまいたかった 倒れている本人の前で「具合が悪いみたいです」と言うのも馬鹿っぽいし具合の悪い方は
「そうじゃねぇんだよな」
と思うものなのである わざと歩幅を縮めて時間を稼いだら扉の前で電話が終わったので
「倒れちゃって」
と言うと鴨下は三谷さんの具合が悪いのは承知していたみたいで扉をがばっと開くと
「大丈夫? 帰っていいですよ」
と大きな声をかけた それに露骨に嫌な顔をしたのは淀川で
「あんた、具合悪い人に大きな声かけるんじゃないよ」
と鴨下の背中を叩いた 鴨下は「なんで?」と純粋無垢な顔をして振り返り私はあまりうまく行かなかったなあと思った 私はとにかくやたらと災害対策委員長をやりたがる淀川を早くその座から引きずりおろしたかったのでありそのために鴨下にもう少しスマートな対応を期待したのであった

途中式(16)

三谷さんが具合が悪くなって床に寝そべりだして冗談かと思った 冗談かと思ったというのは品川が言っていて品川はそういう茶目っ気があった 見た目は無口そうなのだが 体格も良いが何年か前に大病を患った 話は飛ぶが品川が買ったエロ雑誌の袋とじを立川が破ってしまうという事件があった それでも品川は黙っていてこの話は破ったほうの立川から聞いた いつまでも破らずに放置しているから気になって破いたというのだ 雑誌はトラックの中にあって当時は品川がメインのドライバーで立川がサブだった 何年か前にトラックはみんな外注になった すぐにドライバーが替わる外注先でずっと長い人がいたがその人は若くてここへ荷下ろしするたびにトイレを借りていくので私たちは「トイレ太郎」と呼んでいた 人によっては「トイレ野郎」だったのかもしれない なぜトイレ太郎はいつまでもうちの担当なのかみんなと話していたらトイレ太郎はつまり運転の腕が未熟だから他へ行かせてもらえないんじゃないかということだった トイレ太郎以外の人はみんなもっと遠くへ出るようになるのである その運送屋は会社から車で10分のところにあって社屋は立派でアテネの神殿のように屋根が高かった 重い扉を開くと制服を着た事務員がいて私はいつも「今時制服かよ」と思うのだった 3度くらい訪ねた 夕方に行くと仕事を終えたドライバーが輪になって談笑している姿を見ることができた ところで制服といえば銀行だが昔行った銀行でちょっとお高くとまった受付がいたらあるときから私服に変わって融資担当だかになったのだろうが尚更お高くとまった気にくわなかった

途中式(

ふとR4の忘れてしまったひとりの名前が気になって読み返してみたら品川だった 残りは立川と淀川と下関川だったのでいちばんメジャーな名前を忘れていた 品川というのは東京にそういう駅名があるからメジャーといったわけで場所が変わればこの辺の感覚は変わりそうだ 私は大阪で淀川橋という地名を見かけたのである しかし実際に行ったわけではなく文字列を見かけただけである 私が大阪では高い建物の蔦屋の看板くらいしか見なかった 同行した人が深谷に住んでいて終電が早かったため急いで帰らなければならなかった 新幹線を乗り継げばいいのだが東京からは普通ので帰ると言って聞かなかった 新幹線代をゲットしたいのである 私もそういうことを考えるが実入りはなん百円とかだから止した


立川・品川・淀川・下関川


書かないと忘れるのでメモをしておく この人たちは実在するのである 品川を忘れたのは4人の中では比較的私と接する時間が短かった為と思われる 品川は何年か前に大腸ガンを患って仕事を半年休んだが11月から何事もなかったかのように戻ってきた つまり4月から休んだ 3月の頭からとつぜん何日か休んで「癌だから」と言いに来た そのとき黒いダウンジャケットを身につけていてテカリ具合がカブトムシのようだった 私の周りにダウンジャケットを身につける人はいなかった 品川は申しわけなさそうにして翌日から本格的に休んだ 手術はその翌日だった その前も休んだが特に何があったわけでなく医者からも「働いていい」と言われていた


半年後品川は復帰したが外見にはほとんど変化はなかった もともと大柄だったので痩せているのかと思ったがまったく変わらなかった 食べるものだけジャンクはダメだとお重に入ったそぼろご飯を口にしていた 変化はなかったが品川は仕事を辞めるつもりだった 求職中に総務に傷病手当の書類を求めたら嫌みを言われたらしい 本当かは知らないが治ったんだからこっちのもんだとでも思ったのか辞表をT所長に出し面倒くさくなったT所長は責任者の山口さん(※仮名)に「お前が決めろ」と辞表を○投げした


「辞表は役職者がだす方です 一般は退職願です」


いちいち細かい下関川は私に突っ込みを入れた


※山口さんは前に出たがそのときの名前を忘れたので仮名とした


※何回目か忘れたのでタイトルのカッコを閉じられなかった

途中式(15)

帰りは鴨下さんの会議が長引いたのでギリギリになった 鴨下さんは別部署でのん気にミーティングなぞやっていた 私たちはとっくに終わって休憩室で鴨下さんを待っていた 「給水所」という貼り紙があるから何かと思ったらクーラーボックスに水筒が入っていた ここも大阪の水である 


結局ギリギリになって鴨下さんは戻ってきてお土産を買う暇もなかった もっともギリギリなのは鴨下さんだけなのである 彼は深谷の方に住んでいた せめて遠出した気分になりたいのでひとりでビールを買った 暑さにやられたのか頭痛がするだけでうまくはなかった 仕方なく売り子のワゴンが通りかかると水を買った 鴨下さんが「せっかくのビールが薄くなる」と真顔で言った 

途中式(14)

移動中は寒いくらいだったが新幹線を降りて目的地の工場に着くと蒸し暑くて不快だった 新幹線は適温で10月のようだった 名古屋から合流する人は4両目に乗った 私たちは2両目に乗って彼が乗り込むのを見かけたのである 2両目には私と、鴨下さんという人が乗っていた 鴨下さんは物語の後半で登場するので今はそういう人がいるということを覚えておいてもらいたい 名古屋の人は坂口といって眉間にしわを寄せ不機嫌そうだった 自部署でも怖い人なのだろう 仕事中の私語を許さないと言っていた 私は坂口とは社内ランクは同じなので特に坂口は怖くはなかった むしろ坂口が私を怖がっているようにも見える 私が作業場に音楽でもかけたらというと
「冗談じゃない」
と返された 「数字が落ちるから」と言っていた 確かに坂口のところの「数字」は良かった 私のところはいい加減なので悪かった 私はとにかくあまり社内でその悪さが目立たないようにして日々やり過ごしていた しかし坂口のところもダントツというわけではなく私たちは一番のところの大阪のヤナイさんに会いに行くところだった


ロッテリアで昼を食べ恐ろしいくらい小さな店舗だったので私はイスに挟まってしまい集合時間に遅れそうになった 心配したスタッフがお盆を受け取ってくれ、それからさっきとは反対回りにイスを回転させたら出れた カウンターのところの回転はするが位置は動かせなくて固いイスだった 床が汚らしかった 「腹が減っていない」と鴨下さんに言いふらしたくせに順番が回ってくるとポークリブセットを頼んだので鴨下さんが「裏切りましたね」とむくれた 鴨下さんは水しか頼まなかった 大阪の水は格別だと言いながらごくごく飲んだ 馬鹿にした目で見ながら私はアイスコーヒーを口にした イスに挟まった私を鴨下さんは助けてくれなかった


タクシーで工場に行くととても個性的なタクシーだった 数珠の多いタクシーだった 運転手はピアスをあけ冷房の送風口のところにiPodが刺さっていた そのため料金を表示したりレシートを出したり諸々の機械がみんな彼の発明に見えてきたタクシーには鴨下さんと坂口が乗ったから私は助手席だったのである


工場は中も冷房の利きが悪くて次第に頭が痛くなりふくらはぎがぴくぴくと痙攣した どこかで座りたかったが色白の作業員が得意げに説明を続けるから休む暇がなかった 荷物は入り口で没収されたので水も飲めなかった 鴨下さんは大阪の水を飲んだから元気だった 色白の話が面白くないのでルートを外れて勝手に見ていたら上役の人が寄ってきて私を注意した この人も名前があるがこれ以上名前を登場させてもこんがらがるだけなので名前は出さないことにする パーソナル情報としてはこの人は新婚旅行が新潟だった 新潟に有名な芸術家がデザインした公園があるらしい 

途中式(13)

研修の最終日にNを食事に誘うと
「家族と一緒に食べたほうがいい」
と断られた 私としても一週間も都内まで通わされへとへとだったので断られてほっとした 研修は一週間の日程だった 休憩時にトイレに行くと参加者に
「疲れるよな」
と話しかけられた 彼も新卒で関西弁をしゃべっており参加者の中ではいちばん声が大きかった 「疲れてまうやろ」とかそんな言い方だったかもしれない 私には関西弁はわからない わからないので岡山とかあっちの方の人かもしれない しかし岡山に支社はなかった


Nも静岡県出身者なのだと言った 埼玉の大学だったのでこちらの営業所を希望したのだ 研修が終わる度に「終わりました」とT所長に電話を入れていた 私も上司の三谷さんに電話した方がいいか迷ったがそもそも電話番号を知らなかった オマケに意識の高いNは研修の終わりに「倉庫を見学したい」と言い出しそのままどこかへ行ってしまった 食事に誘ったのが最終日になったのはそのためだった


しかし結局は家族と食べることを勧められたのでまっすぐ家に帰ることになった 私としても一週間も電車通勤をしてへとへとだったのでちょうど良かった 数年が経っていてまた都内に一週間通うことになったがこのときは私服OKだったのであまり疲れず最終日には食事にも誘われた 個人がやっているような中華料理店で天津飯を頼んだら酸っぱくて仕方がなかった 私は天津飯など食べたことがなかったので店は関係ないのかもしれない 6人くらいで行ったが誰も行ったことのない店だった その割に店員の中国人に馴れたかんじでオーダーをしていた


ここまで書いて私は嫌になってしまった 移動中なのだが電車が寒すぎるのである 隣の女性などはパーカーを羽織って首にはストールを巻いていた 手がかじかむので途切れ途切れで書いた

途中式(12)

何を書いていたのか忘れたので読み返した 研修にNと参加するところだった 研修とは新入社員研修であり私とN以外は皆新卒の人だった Nも新卒で入ったがそのときの研修は風邪で行きそびれたので一年遅れになったという話だった 私はその話は嘘ではないかと思った Nは異様に痩せていていつも黒のパンツを履いていたので足が長く見えた この会社がスカートの着用がセクハラ防止のために禁止されていることはすでに述べた しかし新卒の人の中にはスカートの人もいた 研修は3月でこの人たちは正確には4月入社で厳密にはお客さんなのでスカートなのかもしれないと思った スカートの人は普通の社員の中にも何人もいた スカート禁止はローカルルールだと知った 当然アロハシャツの人もいなかった


そこは本社だった 東京都M区にあって私の家からは電車を2回乗り換えなければならなかった 長いエスカレーターを下って地下におりその後の電車がとても混んでいた 目的地について地上に出てそこから橋を渡って公園の脇を抜けたところに本社はあった 公園の中には草野球場があって私は東京都にもこんな場所があるのだと感心した 行ったことはないがニューヨークのセントラルパークもこんなところではないかと想像した 規模はまったくちがうだろうが セントラルパークではクーガーが出て時々公園を走るランナーを食べてしまうという話が村上春樹のエッセイに出ていた どうしてそんな命がけでランニングするのか理解不能だがアメリカは銃社会だからその程度のリスクを気にしたら何もできないという風潮なのかもしれない 日本でも土佐犬に噛まれて子供が死ぬという事例もある