それで調べて行ったらなんかできそうなので、最初はそういうアプリを入れるのかなあと思っていたら、ページを表示するだけで、ざくざくと私の記事は消えて行った。勢い余って残す記事も消しそうになるが、消したら消したでいいやと思った。
それで、私は10代のころからこうして文章をちまちまと書いていて、パソコンを買う前にはノートに書いたりして、友達に読んでもらったりもした。しかし、よくよく考えてみると私は、小学校時代は作文関係がとても苦手で、特に感想文が苦手で、先生は
「思ったことを書きなさい」
と言うのだが、私はそんなに何も思うことはないので、2、3行しか書けないのである。心配した親がある日「作文の書き方」という本を買ってきてくれたが、当然読まなかった。夏休みの宿題等は、親に考えてもらってそれを書き写した。だから、私は読書感想文というものには非常に寛容で、家族で書けない人がいたら、代わりに書いてあげてもいいと思っているが、だれも頼んではこない。
ところがそんな私でも、するすると書けたことが一度あり、それは私の小学校は田舎の農村地帯なので収穫祭という行事があり、それは5年生が田んぼで育てた稲で餅をつき、それを食べるという行事なのだが、私はそのときから、たかが一学年が作った米で、全校生徒の腹、さらには教職員も含めた腹を満たすなんてできるのかと、疑問を抱いていたし、今でも抱いている。もしかしたら、農協からこっそり分けてもらったのかもしれない。しかし、農協からもらうのなら、農協は同じ地区の田んぼの米を集めるだけだから、味には大差ないから同じである。
しかしそう考えるのも早計で、実は同じ地区でも田んぼの味は違うらしく、私の実家も田んぼを所有しているが、私の実家の田んぼは井戸から水を引くらしく、そのため他の田んぼより美味しいとのことだ。どこまで信用できるのかは怪しいが、ここ数年父親は米を農協には出していないのである。
どちらにせよ私は餅が好きであり、家でも年末には餅つきを行い、それは私の死んだおじいちゃんちの古い家で行い、それは一時期蚕も買っていたようなとてもボロい家で、そこの土間に餅つきの機械を持ち込み、奥の台所で米を炊いてから、米を機械に入れていく。すると細い口から
「うにゅにゅにゅにゅ」
と餅は出てくるのであり、それはとても熱い。そしてそれを手でちぎって皿に盛り、醤油と大根おろしをかけて食べるととても美味しく、もう米が農協だろうが市販のものだろうが関係ないのである。
一方学校のほうは11月に収穫祭は行われ、餅つきは臼と杵をついて行われるが、それは主役である5年生が行う。私がやがて5年生になると、私も餅つきの番が回ってくるが、その時の様子をあるカメラマンが写していた。そして私はその翌日くらいに風邪を引いて学校を休み、久しぶりいくと、その写真をもらえた。私はオレンジ色の古臭い父親のお下がりのジャージを羽織りながらも、杵をつき下ろす行為が様になっており、普段私はあまり自分が主役になることもないので、とてもその写真を気に入った。そして私の周りには級友がいて、私の様子を見ているのだが、後から私はそのひとりひとりに矢印をつけて、何かしらの悪口を書いた。しかし、私の字は大変きたなく、また、太いサインペンだったから、後から全く読めなくなった。
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