意味をあたえる

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どうして勉強しなくちゃいけないの

午後からナミミの塾の面談に行ってきた。受験生なのである。ナミミ自体は学校へ行っていたが、午前中に帰ってきた。
「胃腸炎かもしれない」
と本人がトイレから出てきて言った。私はひとりで塾へ行った。元からひとりで行く予定だった。途中でオニギリを買って食べた。

「太った男が出てくると思う」
とナミミは話していたが、応対したのはメガネをかけた、出っ歯の男だった。玄関には女が出てきた。私が用件を告げると、
「お待ちしておりました。只今参りますので」
と、途端に腰が低くなった。面談が始まると、生徒がひとり
「自習室使わせてください」
とやってきて、壁の向こうの女は、
「うん、いいよー」
と、友達みたいな口をきいた。

面談が始まった。
私は本音では、受験どうこうよりも、表題のような
「どうして勉強しなくちゃいけないんですかね?」
と、質問したいのだが、そうすると変な人に思われるので、おとなしく「一年のスケジュール」の資料にメモを書き込んでいく。学校の先生にだって尋ねたい。これは、別に勉強なんて意味ないだろ、と言いたいわけではなく、そういう職業の人がどう考えているのか知りたいのだ。しかし、質問された方は、私の意図とか本音を探ろうとし、どうかわすかに注力するだろう。彼らは「勉強ありき」の前提で生きているから、勉強に関しては思考がストップしている。あるいは、危機を抱いていている。

私が中学の時、担任に
「勉強しろって言われると、したくなくなるんだよ」
と言うと、彼女は音楽教師だったが、
「だからって、「しろ」と言わなかったら、余計にしないでしょ?」
と、答えた。私は「うぐぐ......」という態度をとったが、本当のところ、私の親は「勉強しろ」とは一切言わない人間だったので、そもそもの質問の意図は違っていた。

私は子供の頃から周りに「頭がいい」と頻繁に言われ、今でもたまに言われるが、三人いる兄弟の中で、ひとりだけ受験に失敗した。そのことを思い出すと、
「もっと勉強しておけば良かったな」
と思う。私と同じ風に思う人は他にもいるかもしれないが、そういう人は今改めて勉強を始めればば、どうしてそう思うのか、理由がわかる。資格試験勉強とか、そういう目に見えた成果の出るものでなければ、尚更わかる。

「忙しくて勉強する暇がない」
「今からやったって無意味」
「他にやるべきことがある」
私の「勉強しよう」の呼びかけに、上記のようなことを思った人は、子供のころも同じ風に思ったのだ。子供は仕事してないんだから暇だろ、と思う人もいるかもしれないが、子供だって忙しい。私には子供が身近にいるからよくわかる。今日も暑い中歩いて帰ってきて、昼寝をしたがるシキミを揺すりながら、なんとか漢字の宿題を終わらせた。昼寝をしたら夜が遅くなって、次の朝がつらいのである。ノートに同じ漢字を何行も書くなんて、本当ナンセンスだと思うが、おそらくこういうやり方しかないと自分に言い聞かせるが、やはり「やんなくていいよ」と言える親になりたい。

確かに仕事をしなければ、食べていけないし、変えるのだって一苦労だが、子供は親も学校も自分の意志で選ぶことはできず、ただ言われたことをやらされるだけだ。だから今勉強できない、という人は、タイムマシンで過去に行ったとしても、結局勉強はできない。だから、昔の自分を責めるのはやめよう。

話は全然変わるが、私の父親がよく本を読む人で、しかし小説は一切読まず、ひたすらワタミの本とかイスラム国の本とか読んでいる。ある意味でミーハーで、本に関してはじゃんじゃん金を遣う。図書館にも行かない。読んだ本は座椅子の横に平積みにしており、たまに私も借りて読むことがある。「もしドラ」とか、「夜と霧」もあった。私はそうやって、本が好きなら例えばイスラム国なら、イスラム教、宗教、というように徐々に抽象度を上げて、体系的に読んだらいいんじゃないか、と提案した。すると父親は、
「別に勉強しているわけではないんだから、これでいいんだ」
と断った。私はいつのまにか「読書=勉強」と結びつけてしまっていた自分が恥ずかしくなった。