意味をあたえる

文章としかいいようがない fktack@yahoo.co.jp

早く着きたいのではなく止まらず着きたい

車通勤である。通勤路は大まかに3本くらいあって気分や用事によって使い分けているが期分のほうが多い。だいたいどれもかかる時間は同じである。途中に橋があり橋というのは渡らなければぜったいにその向こうへ行けることがないのでコースがかぎられてしまう。最初に大まかに3本と書いたが渡る橋は2本のどちらかだ。橋を渡る必要がなければもっとバリエーションを増やせるだろう。たまに違う道を通ると新鮮である。

今の仕事はもう7年勤めているのでそうするとだんだんマイナーな道を選ぶようになる。今日は妻に送ってもらったのだが
「どこを走っているのかわからない」
と言われた。私も若いころは似た感覚をおぼえた。若いころはよく人の運転する車に乗った。よくこんな道を知っているものだと感心することが多かった。私もそうだが私の両親もあまり出かけるのが好きなタイプではなかったから隣町の田んぼの中を走っているだけで火星に来たような気分になった。国道はやがて大きな交差点にぶつかり立体交差もしていてそこで信号待ちをしているときに世界の終わりにやってきたような気持ちになった。私が感心すると
「もっと車を運転して色んなところに行かないと」
と言われた。なんでも上からものを言わなければ済まない人はこの頃からいた。