意味をあたえる

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ワームホール(4)

わたしにタイムパラドクスについて教えてくれたのは、理科の溝川先生だった。先生は白衣と眼鏡の典型的な冴えない理系男で、授業もゆるく、一部の男子がガスバーナーで机に焦げ目をつけて遊んでいても熱心に注意しなかった。そのぱっとしない溝川先生も、授業の合間に話が脱線した時にするブラックホールやビッグバンの話の時には、目を輝かせた。ただでさえややこしい話なのに早口でまくしたてるため、そのギャップもあいまって生徒のほとんどはドン引きしていた。
一年の最後の授業の時、時間が余って調子に乗った先生は、いつもの宇宙の話から発展してワームホールと時間旅行に話をした。そこからタイムパラドクス孤児についての解説が始まると、わたしは興奮してその話に耳を傾け、向かい側で騒ぐ男子にガンを飛ばして黙らせた。自分の出自に関する話なんだから当然だ。お母さんは当事者のくせに、わたしの出現に関してはほとんど興味がないらしく、わたしの質問にはほとんど答えられなかった。業を煮やして図書館で本を借りてみたりしたが、蟻んこみたいな字で専門用語が並び、数ページで嫌になった。病院で会う研究員に訊くという手もあったが、なんだか怖い。研究員は多分、わたしの体や頭の中を調べるのは、人類発展のためだから、なんでもありだと思っているのだ。わたしの質問も「被験者は自我について興味を持ち始めた」と捉えられ、かえって彼らの興味をそそってしまうだろう。そんな風になるのは彼らの思う壷みたいで嫌だし、他の孤児たちに迷惑をかけそうな気がするのでやっぱり聞けない。一応フォローしておくけど、研究員の人たちはみんな親切だ。だが、やはりその優しさは根本的な出発点で本来のものとはずれていて、わたしは百パーセント警戒を解く事ができない。そういう疑心暗鬼が対人恐怖になりかけて、ああこうやってぐれていくんだなあと思っていたわたしに、光を差してくれたのは溝川だった。わたしは授業が終わると友達に適当に嘘をついて最後まで理科室に残り、溝川に自分が孤児だと打ち明けた。

それからわたしは時間があれば、溝川の元を訪れ、タイムパラドクス孤児について語り合った。そして世界中には孤児はおよそ1000万人いることや、最初に確認されたアメリカ人の孤児がこの前結婚して子供を産んだこと(つまり最初の孤児は女)、ワームホールについても、大雑把な図にして解説してくれた。
先生も、実際のタイムパラドクス孤児を見るのは初めてで、わたしと話をする時は、どの授業の時よりも早口になってよく舌を噛んだ。おそらく口中血だらけにしながら、それでも少しでも時間を無駄にすまいと、涙目でわたしにしゃべり続ける。かわいい。時には、研究員と同じような、わたしの人格後回し的な質問を繰り出すが、教師の本能がわたしの心の怯えを察知するのか、すぐに冗談を言って和ませてくれる。やっぱりこの人は違う。て、わたしが露骨に暗い顔をしているからバレバレなんだけど。
そうやって溝川を好きにならない理由がどんどんなくなって、わたしはいよいよ本気で溝川に抱かれたくなってくる。溝川は髪も寝ぐせが立ってて、眼鏡のフレームもえんじ色のべっ甲みたいな素材でお前それどこで見つけて来たんだよ的なセンスだが、白衣の下は意外とマッチョで、準備室で並んで座っている時にそれに気づいたわたしは、反則だろ、と思った。それを指摘したら「トライアスロンしてるんだよね」となんでもなさそうに言った。もっと自慢気に言ってもらわないと困る。どう見ても似合わない。想像できない。代わりに想像するのは、その太い腕がわたしの肩を抱く場面だ。指が等間隔に開いてわたしの肩甲骨に食い込み、血管が浮いている。わたしは少し離れた位置から、西日の差す理科室で実験テーブルに押し倒されるわたしを眺めている。制服をたくし上げられそうになるのを必死で食い止めながら「ちょっとやだ、やめてよ」なんて悲鳴を上げている。白々しく。